拙ブログがどのような方に読まれているのか。常連としてコメントを下さる数人や古くからの知友を除くと、どんな読者なのか皆目わからない。
ちなみに、どのような記事が好んで読まれているのか、試みに左の欄に登場する「記事ランキング」を覗いてみると、今現在こんな十本が上位に挙げられている。
私たちにはジェフリー・テイトを追悼する資格がない (2017年6月3日)
→これついに入手、クリュイタンス指揮「聖セバスティアヌスの殉教」(2017年12月5日)
→これ今野雄二の遺著にその才能を惜しむ (2014年7月4日)
→これタイムマシンで「トリプル・ビル」を観に (2017年12月7日)
→これ遂に明かされた石井桃子、その生涯の「秘密」(2014年7月10日)
→これ懐かしい「オンブラ・マイ・フ」 (2014年6月2日)
→これコレクション売却は終わりの始まり?(2017年11月6日)
→これ幻の「スカイ・レストラン」 (2010年10月5日)
→これミュンシュ指揮「火刑台のジャンヌ・ダルク」の出現(2017年11月29日)
→これ浮かばれない安田南(2013年6月24日)
→これ以上が一位から十位まで。
つい最近の投稿記事が三本含まれるのは当然として、かなり以前のものも登場している。音楽の話題が多いことを除くと内容はまちまちで脈絡がないのは、いかにも小生らしいと言えば言えるか。
とりわけ今野雄二さんの映画批評を集めた書籍を紹介した記事、荒井由実の幻のレコーディングに立ち会った回想、忘れられかけたジャズシンガー安田南の雑誌特集を評した文章、この三つはいつもランキングに顔を出す常連である。いずれも古老の懐旧譚に類する昔噺であり、おそらくネット上に類似記事がないため、検索の上位に来るからか、常に訪問者が絶えないのだろう。
これらの記事を書いた動機はさまざまだが、煎じつめて云うならば、他の誰でもなく、自分自身のために書いたものだ。容赦なく過ぎ去っていく時に抗して、耄碌してしまわぬうちに、思うところを書き留めたまでのことだ。
それでも連日のように訪問者がある。最近は三百から四百人の方が訪れるというのだから、それなりに誰かのお役に立っているのだろう。そう思うと身が引き締まる――というほどのことはないにせよ、やはり責任は感じざるを得ない。間違ったことは書かぬよう、考えを正確に、正直に記すよう、それなりに気を遣っている。
そうそう、忘れずに付け加えておくならば、備忘録代わりの拙記事が思いもよらぬ方々に読まれてしまうことだって避けられない。
上に挙げたユーミンのレコーディングの思い出では、当時のアルファの録音ディレクター有賀恒夫さんご自身が懇切な釈明コメントを寄せてくださったし、雑誌の安田南特集のインタヴュー記事に不満を漏らした記事には、当のインタヴュイー(劇団黒テントの)佐藤信さんからお詫びのコメントがあって、すっかり恐縮してしまった。誰の目に触れるかわからないところにブログ記事の妙味と怖さがある。
先日の忘年会で会った旧友から「沼辺さんのブログはいつも難しくて、とてもついていけない」と評された。まあ、そうだろう。話題はコアで記述はトリヴィアル。もっと万人に受け容れられる内容を平易に、と思わぬでもないが、それでは小生が書く意味がなくなる。なにしろ当人がコアでトリヴィアルな人間なのだ。