ここ数日、TVやラヂオの海外ニュースで自分の名がしばしば呼ばれてドキッとする。曰く、「
ジンバブエ国軍は沼辺大統領を自宅に軟禁」「
ジンバブエ与党は沼辺氏の党首解任を決定した」「
ジンバブエの沼辺大統領は今日も退陣を表明しなかった」云々。
もちろん「ムガベ大統領」がそう聞こえるだけなのだが、何度これを耳にしてもその都度まるで自分の姓が名指しされた気がして、ハッと顔を上げてしまう。「佐藤」「田中」「高橋」などポピュラーな苗字と違い、「ヌマベ」が発語される機会はごく稀だから、たとい空耳でもびっくりしてしまうのだ。
原綴でも大統領は Mugabe、当方は Numabe なのだから、やっぱり似ていると思うのは小生だけか。
デパートや駅や空港の「お呼び出しを申し上げます」の案内放送でも「ヌマベ」の名が呼ばれる機会はまずない。だから心安んじていられる。
「鈴木」氏や「吉田」氏や「斎藤」氏はしょっちゅう呼ばれて「俺のことか?」とそのたびに耳を欹てているはずだ。さぞかし気忙しいことだろう。
今ふと思い出したのだが、早稲田界隈を散策していて、不意に自分の名が呼ばれた気がした。「おい、ヌマベ!」と。
その日の日記を再録しておこう。いやなに、もとより取るに足らない記事である。
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鶴巻町のあたりまで来た頃だったろうか、藪から棒にいきなり電撃を喰ったように立ち竦む。誰かが出し抜けに自分の名を大声で呼んだ気がした。それも何度となく連呼されたように感じたのだ。
周囲を見渡しても人影なぞ見当たらない。あまり馴染のない界隈なので、我が名を呼ばれるような心当たりもない。これはいかん、疲労が嵩じてとうとう幻聴を耳にするほどになったのか。
次の瞬間だった。名前を呼ぶ声の正体がようやくわかった。すぐ目の前の舗道際に立つ電柱に、黒々とした太文字で「
ヌマベ質店」と大書されているではないか。それも一本きりではない、次の電柱にも、その次のにも同じ看板が掲げてある。我が名を連呼されたと思ったのも道理であろう。
しばらく行くと、脇道に入ったところに「質ヌマベ」と大きく看板が出ていて、そこが「ヌマベ質店」の所在地だった。
「加藤」だの「山本」だのとありふれた苗字をもつ人には判らないだろうが、沼辺なぞという稀少なファミリーネームをもつ者にとって、自分の姓を目にし耳にする機会は滅多にありはしない。だから免疫ができていないのである。いきなり出くわした看板広告に肝を冷やす羽目になる。
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あとで知ったのであるが、早稲田界隈で「ヌマベ質店」はそれなりに認知された存在だったようで、早稲田大学に在学した時分、我が妹は「ひょっとして質屋のお嬢さん?」と何度か聞かれたそうな。
この質屋の苗字はどうやら「沼辺」ではなく「沼部」らしいのだが、それでもなんだか浅からぬ縁を感じざるを得ない。いずれ手許不如意になった際には、この店を訪れてみようかしら。「ワタクシもヌマベです」と名乗り出たら、ひょっとして少しは優遇してくれるかもしれない。