ウェブ版『美術手帖』でわが目を疑うような記事が出た。
→DIC川村記念美術館が日本画展示を終了。作品を全点譲渡へ
驚きにちょっと言葉もない。かつて開館前から十五年間ここに在籍した者として、ただただ愕然とするばかりである。
欧米の近現代美術を中心とするこの美術館にとって、日本画のコレクションはいわば傍流であるが、それなりに粒揃いの質的水準を保っていたし、20世紀美術にあまり馴染みのない来館者にとって、印象派の諸作品、レンブラントの肖像画とともに、ほっと一息つけるオアシス的な役割を果たしていたのではなかったか。
収集点数こそごく僅かだが、そのなかには長谷川等伯の晩年の基準作たる重要文化財《烏鷺図屏風》が含まれている。この作品は美術館構想が生まれる遥か以前、たしか1960年代に収集された「川村コレクション」の記念すべき第一号だったはず。旧蔵者は團伊能だったと記憶する。コレクションの「原点」を手放してしまって本当にいいのだろうか。
橋本関雪の二点の屏風も重要だ。
《琵琶行》(1910)は白楽天の同名の長詩に取材した関雪の出世作だし、古代中国伝説の男装の麗人を夢幻的に描いた《木蘭》(1918)は大正期の傑作として夙に名高い逸品だ。どちらも館外の関雪展にも貸し出され、京都のご遺族からも「この二点は生涯の傑作。美術館に安住の地を見出したのは嬉しい」との難有いお言葉を頂戴したことがある。展示されるたび、多くの来館者の溜息を誘ってきたのではないか。
小生は現役時代、未知の等伯作《松に鴉・柳に白鷺図屏風》が発見されたとき、逸早くこれを出光美術館から拝借し、川村作品と向かい合わせに比較展示したし、小規模ながら橋本関雪の展覧会も企画したこともある。川村記念美術館は決してロスコやステラだけの美術館ではないのである。
数年前のバーネット・ニューマンの大作《アンナの光》売却も衝撃的だったが、今回の日本画コレクションの丸ごと売却も、小生にはそれに劣らぬ驚愕である。このショックはいずれボディブローのようにじわじわ骨身にこたえることだろう。
一体この美術館で何が起こっているのか、どこへ行こうとしているのだろうか。まさか「終わりの始まり」ではあるまいな。