昨日(11月4日)のこと、目黒のライヴハウス Blues Alley Japan で金子マリ&バックスバニーを聴いてきた。小生にとって実に四十年ぶりの再会である。
メンバーは金子マリ(vo.)、永井充男(g.)、鳴瀬喜博(b.)、難波弘之(key.)、古田たかし(drs.)。うえむらかをる、玲里のバック・コーラス。永井・鳴瀬・難波の三人はバンド結成時(1974)の創設メンバーであり、今回の企ては再結成ライヴと呼ぶにふさわしいものだ。
とはいうものの、バックスバニーは1979年前後に活動を休止したが、正式に解散したわけではなく、ときおり旧メンバーが集まって演奏する機会も何度かあったというから、広報宣伝物にも「レコード・デビュー41周年」とあるのみで、どこにも「再結成」「復活」の文字はない。
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金子マリ&バックスバニーを初めて聴いたのは、レコード・デビュー以前の1975年7月、日比谷の野音での「サマー・ロック・フェスティバル」だった。その印象は鮮烈そのもの、たちまち魅了された。芳紀二十歳の金子マリのヴォーカルは若々しいシャウトが圧倒的だったし、それを背後で支えるバックスバニーは屈強の腕利き揃い、タイトでリズミカル、生き生き弾みのついた演奏はまさに鳥肌ものだった。
それから二年ほどの間、あちこちの大学の学園祭でのロック・コンサート、荻窪と下北沢の小さなライヴスポット「ロフト」で、彼らの生演奏にどれほど頻繁に通っただろうか。三十回は下らないと思う。
下北沢の商店街を散策していると、サンダル履きのマリさんによく出くわした。「今日はロフトでライヴですよね?」「必ず来てね!」という具合に、すっかり顔馴染になってしまった。聴衆とロックスターの距離がまだ近かった古き佳き時代なのだ。
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その後、何度かのメンバーチェンジで当初の緊密な演奏スタイルが薄らいだ気がして、1978年頃にはバックスバニーから少しずつ足が遠のいた。そうでなくとも小生は日々の暮らしに追われて、80年代に入るとすっかり音楽と疎遠になってしまったから、その後の彼らの演奏活動については知るところが僅かである。
金子マリの単独ライヴは90年代に一度、21世紀に入ってから二度ほど遭遇したものの、ヴォーカルにもう昔日の面影はなく、「ああ、聴かなければよかった」と後悔しただけだった。
だから今回の催しにも二の足を踏んでいたのだが、拙ブログ訪問者べーすまん氏が、この三月に下北沢で聴いた金子マリ&バックスバニーは「それはそれは素晴らしいライブでした」、だから今回の機会は絶対に逃すべからず、「私も何があっても行く所存であります」と強く奨めてくれたので、その熱意にほだされた形で、半信半疑ながらチケットを予約したのだった。
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結果はべーすまん氏の言葉どおりだった。四十年を経た金子マリのヴォーカルはさすがに声量もパワーも往時とは比較にならないが、そのかわり中低音域に深みと味わいが増し、じわりと胸に迫るものがあった。
バックスバニーの面々は、かつての技量の冴えが些かも失われておらず、これが六十代の高齢者バンドの音かと耳を疑うほど強靭にして剛毅。ああ、この響きだったと懐かしむばかりか、圧倒的なグルーヴ感に酔いしれる稀有な聴取体験だった。
休憩を挟んで約二時間、歌われた十六曲のほとんどは周知の歌だったが、とりわけ《それはスポットライトではない》はまさしく絶唱というべきもので、涙が滲むのを禁じ得なかった。若く溌剌としたマリちゃんも素敵だったが、しみじみ慈しむように心をこめて唄う今のマリさんも感動的だ。
ラストは《最後の本音》。かつての彼女の十八番であり、今なお凄い迫力を醸し出す。バックスバニーのアレンジも昔とほとんど変わることなく、ああ、この声だ、この響きだ、と感涙にむせぶ初老の聴衆は小生だけではなかっただろう。
付言すると、今宵の《最後の本音》は本家ソー・バッド・レヴューと同じオリジナルの歌詞(石田長生/作詞)のまんまで歌われた。四十年前の彼女は「俺」を「わたし」に変えて唄っていたっけ。
誰か教えてほしい
俺の行くべきところを
導くお前が
めくらでなければ
齧りかけのリンゴは
そのままにしてるし
拗ねたあいつは
背中でののしる
冗談さえも空しいような
そんなときには
いつも心で叫んでいる
俺は決して
悪い人間じゃない
ただ考えが甘いだけ
会場では互いの服装と荷物を事前に伝えあっていたので、初対面のべーすまん氏とも首尾よく落ち合うことができ、開演前と終演後には旧知の間柄のように親しく言葉を交わした。ブログをやっていて本当によかった。
最初期のバックスバニーは未見だという彼に自慢すべく、たまたま手許に残っていた当時のバックスバニーのチラシやチケット、まりさんの直筆サイン(「金子真梨&Bux Bunny」とある)、広報宣伝物の類を持参した。極め付きは1975年12月、荻窪ロフトの最前列で聴く小生と舞台のマリさんとの「ツーショット写真」が載った情報誌『やんろーど』(1976年新春号)だ。