(承前)
大学を辞めて阿佐ヶ谷に下宿してからは極度の手許不如意に陥って、しばらく演奏会からもレコード蒐集からも遠のいた。
そのかわり、小生の周辺には映画好き、芝居好き、ロック好きの友人たちが数多く屯していたから、彼らと談論風発すれば、寂しかったり心細かったりせずに済んだ。今でも彼らには深く感謝している。
とりわけ映画好きの連中は只者ではなかった。なにしろ年間に五百本や六百本も映画を観るという豪の者が何人もいて、どんな作品について訊ねられても、たちどころに詳しい答えが返ってくる。誘いあって名画座を巡り歩き、文芸坐や新宿ロマンのオールナイト興行を観に行った。
1975年には皆で少額ずつ出し合って荻窪にアパートの一室を借りていたから、毎日のように彼らと映画の話をした。
誰しも愛してやまない作品が数知れずあるらしく、加藤泰、鈴木清順、長谷部安春、藤田敏八、神代辰巳、田中登の名がしきりに飛び交った。
たまさか洋画の話題になっても、フランシス・フォード・コッポラ監督の《雨のなかの女》、シドニー・ポラック監督の《雨のニューオリンズ》《ひとりぼっちの青春》、アラン・J・パクラ監督の《コールガール》、イェジー・スコリモフスキー監督の《早春》など、ほとんど上映の機会がない作品が話題に上り、「これを観ていないと話にならない」とばかり絶賛する言葉をしきりに耳にした。
小生はもっぱら聞き役に甘んじるほかなかったのだが、たった一本だけ吹聴できる鍾愛の映画があった。それがケン・ラッセル監督の《夏の歌》(1968)だった。BBCのTV映画として撮られ、1970年2月にNHKでひっそり一度だけ放映されたこの作品は、さすがに友人たちも誰ひとり観ていなかったのだ。
ケン・ラッセルの名は当時すでに《恋する女たち》《恋人たちの曲 悲愴》《肉体の悪魔》《ボーイフレンド》といったコントロヴァーシャルな作品群を通して、注目すべき存在となってはいたものの、それらに先行するBBC時代の地味な伝記映画の存在は、筋金入りのシネフィルたちの視界からも外れていた。
小生は高校時代に観たこの忘れがたい作品を、友人たちに推奨したくてならなかったのだが、単発のTV映画の宿命で再放送の機会などあり得ず、まして名画座やオールナイト上映のスクリーンで再見する可能性はゼロに等しかった。ああ、悔しい、残念だなあと幾たび歯噛みしただろうか!
(つづく)