それはそれとして、映画《夏の歌》の原作だというエリック・フェンビーの回想録(1936)をぜひ読んでみたいという気持ちも強くあった。大学生になったのだから、英語の本くらいは読みこなせるだろうという根拠のない自負心が芽生えていたのだろう。身の程知らずとはこのことだ!
さっそく御茶ノ水の丸善に赴いて、奥の洋書コーナーで刊行書目録で調べてみたら、おお、載っているではないか!
Eric Fenby
Delius as I Knew Him
Icon Books
1966 →書影
逸る心を抑えながら洋書カウンターで註文した。
ネット経由で一週間ほどで世界中から本が手許に届く現今では想像できないだろうが、1970年代初頭に洋書を取り寄せるのは実に厄介だった。丸善か紀伊国屋かイエナか、専門書なら御茶ノ水の明治書房、音楽書なら銀座のヤマハで註文し、到着を待つこと数か月。下手をすると半年も待たされた挙句、「入荷しませんでした」の通知が届く。そんなことの繰り返しだった。
本書の場合もその例に洩れず、数か月後に丸善洋書部から「版元品切」を告げる葉書が無情にも届いたものだ。
この本はその後も永らく小生には「幻」であり続け、実際に手にすることができたのは、ようやく1981年になって増補改訂ペーパーバック版がFaberから復刊したときだ。
その代わり、1971年にはエリック・フェンビーの別の著作が出た。
Eric Fenby
Delius
"The Great Composers" Series
Faber & Faber
1971 →書影
この本は同年末、銀座七丁目のヤマハ楽器本店に入荷した。
当時ヤマハでは毎月『新刊楽譜・音楽書展望』という小冊子の入荷案内が出ていて、その1971年12月号に次のような紹介記事が載っていた。
Faber & Faber 社の出している青少年向き '大作曲家シリーズ' の1冊。既にたびたび紹介したが、やや大型の本で、文字も大きく、記述は簡単で、章といえるものが3、4頁という場合も少くない。[…]
Delius は英国で生れたが、生涯の大部分をフランスで過したのであって、この点では彼を典型的な英国の作曲家と考えることは難かしい。また彼の音楽の作風は20世紀に典型的ともいえない。彼の曲には時代を超えている要素があるからだ。
晩年には盲目になって身体が利かなくなったので、Delius の最後の傑作を伝えるのを助けたのは、口述筆記をした Eric Fenby である。その Fenby 程、Delius の生涯を再構成して彼の音楽への魅力ある解決 [ママ] を読者に与えてくれるのに打ってつけの人はいないだろう。彼は既に《Delius as I Knew Him》という本を出しているが、生涯の記述の大部分は、彼が Delius とフランスで送った頃の思い出にもとづいている。[...]
いやなに、わざわざ引用するほどの文章ではないのだが、当時のヤマハがいかに海外の音楽書の輸入に意欲的で、その紹介にどれほど熱心だったかを示したかったのだ。
もちろん小生は駆けつけましたよ、銀座のヤマハ本店の地階の楽譜・音楽書売場に。今はどうだか知らないが、当時ここのフロアは一種の聖域であり、未知の遥かなる海外の音楽に向けて開かれた小さな窓、鎖国時代の蘭学者にとっての出島みたいな難有い存在だったのである。
上の紹介文にもあるように、このフェンビーの新刊は「青少年向き」作曲家評伝シリーズの一冊であり、「やや大型の本で、文字も大きく、記述は簡単」だったから、田舎から出てきたばかりの無知な大学一年生にはうってつけの内容だった。ひょっとして、隅から隅まで小生が通読した、これは生まれて初めての洋書だったかもしれない。
「青少年向き」と銘打たれているものの、フェンビーの記述は手加減なく真摯そのもの、ディーリアスの生涯と作品を平易に、しかし余すところなく語りつくしていた。これこそ座右に置くべき必読書というべきか。
思うに、いちばん初めに読んだディーリアス文献が、この読みやすい評伝であったのは僥倖だった。もしも註文したフェンビーの "Delius as I Knew Him" がそのとき届いていたなら・・・と想像すると、今更ながらちょっと怖気が走る思いがする。
なにしろ、こちらの "Delius as I Knew Him" は大人向けで刊行年も古いせいか、英語がひどく難しく、詩的だったり思弁的だったり、ときに「意識の流れ」風に凝った構文や修辞が頻出したりと、とても十代の未熟者には通読できそうにない厄介な代物だったからだ。
そのことは先日、久しぶりにこの回想記を精読したとき、改めて痛感させられた。半世紀近くディーリアスに親炙しているはずの六十五翁にとっても、"Delius as I Knew Him" はなお、読み通すのが難儀な書物だったのである!
(つづく)