この年は大阪万国博覧会に伴う未曾有の来日演奏家ラッシュがあり、生演奏とTV、ラジオでの番組聴取をこき混ぜて、膨大な量の音楽摂取の機会が得られた。マルタ・アルゲリッヒ(当時の表記)の初来日(1月)からパウル・ザッハー指揮、オーレル・ニコレ、ホリガー夫妻による武満徹《ユーカリプス》世界初演(11月)まで、信じがたい芳醇な聴取体験がほぼ一年間ずっと続いたのだ。詳しくはひとつ前のエントリーをご参照いただこう。
当時の小生は埼玉の片田舎で高校二年から三年生だったはずだが、受験勉強に励んだという記憶は一切ない。それどころか、今も残る当時の備忘メモ帖を捲ると、早朝から夜更けまで音楽番組ばかり聴き狂っている。放送された曲目を克明に記載し、事細かに感想までしたためているのだから、勉強なぞしている暇はなかったはずだ。今更ながら呆れるばかりだ。
開眼したのはクラシカル音楽だけではない。
折に触れて上京しては映画も観た。カレル・ライス監督、ヴァネッサ・レッドグレイヴ主演の伝記映画《裸足のイサドラ》を封切で観て、不世出の舞姫イザドラ・ダンカンに憧れたのは、半世紀後の今に繋がる決定的な体験だったに違いない。
有楽町界隈を徘徊していて、ふと気紛れに入った小さな映画館でジャン=リュック・ゴダール監督の二本立《気狂いピエロ》&《アルファヴィル》を観た(後者は日本初上映)のは、当時の小生には明らかに背伸びしすぎの無謀な行動だが、ちょっと褒めてやってもいい。
秋には鎌倉まで遠征して八幡宮の神奈川県立近代美術館で「エドワルド・ムンク展」を時間をかけて鑑賞。《叫び》《マドンナ》《病める子》《生命のダンス》から晩年の凋落ぶりまで、ムンクのすべてを包含する凄い展示だった。衝撃の体験とはまさにこれだ。
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そんな目くるめく日々、2月に観たケン・ラッセル監督のTV映画《夏の歌》の印象は一向に色褪せはしなかった。手許にあるフレデリック・デリアス(当時の表記)のLPレコードは一枚だけだったが、それを飽きもせず、盤が擦りきれるほど(←死語だろう)聴いたものだ。
そして1970年もいよいよ押し詰まった12月12日、土曜日だったので、半ドンの放課後に学生服のまま上京し(恥ずかしい!)、銀座四丁目の山野楽器でレコードを物色したあと、並木座という小さな映画館で《ティファニーで朝食を》(恥ずかしい!)を観た、と手許のメモ帖にある。そのあとギャラリー・ユニバースなる画廊でペリクレ・ファッツィーニの小品彫刻展を観たらしい。このあたりの記憶はもはや曖昧だ。
さらに余力があったので、暮れなずむ銀座通りを七丁目まで歩いて、ヤマハ楽器店のレコード売場をちょっと覗いた。ここには当時まだ珍しかった高価な輸入盤LPが入荷していたのだ。
とくに期待していたわけではなかったので、不意を突かれて一瞬たじろいだ。こんな稀少な一枚が小生を待ち受けていたのである。
"English Tone Pictures"
John Ireland: A London Overture
Arnold Bax: Tintagel
Frederick Delius:
The Walk to the Paradise Garden
Irmelin -- Prelude
A Song of Summer
Sir John Barbirolli (cond.) : London Symphony Orchestra
EMI ASD 2305 (1967) →アルバム・カヴァー
すっかり暗くなって灯のともった銀座界隈をあとにして家路を急いだ。やっと手に入れた貴重なLPレコードを抱きかかえるように歩いたことだろう。
その晩の備忘メモの拙い走り書きから、恥を忍んで引用する。これもまた歴史の一部なのだと思うから。
展覧会のあと、ヤマハで珍しいレコードに出会い、それを買った。あのディーリアスの《夏の歌》が入ったレコードだ。ジョン・バルビローリの指揮。夏の夜明けのすがすがしさ、その昼下がりのもの憂さ――これこそディーリアスの音楽だ。盲目の老人が助手に一音一音、口述して完成させた作品がこれだとは、とても信じられない。
書き写していて今ふと気づいたのだが、小生はすでに「デリアス」でなく「ディーリアス」という正しい発音を知っていたらしい。
(つづく)