(承前)
「フレデリック・デリアス」という作曲家は初耳だった。当時すでにいっぱしのクラシカル音楽ファンだった田舎の高校生も、イギリス出身で長くフランスに住んだという、このコズモポリタンについては名前すら知らなかった。
それにしてもこれは驚くべき物語だった。失明し、身体の自由を奪われた老作曲家の助手を志願し、その目となり手となって作曲を助ける――こう書くとなんだか美談めくが、このTV映画《夏の歌》で描かれるのは、そんな生やさしい協働作業ではなかった。
なにしろ、作曲家はとてつもなく頑固で偏屈な老人だったのだ。彼は会話のなかで「英国音楽」という語が出ただけで機嫌を損ね、食事中もスープが薄味だといって怒り、食器が音をたてただけで癇癪を起こす。
夫人をはじめ、周囲の誰もがまるで腫れ物にでも触るように、恐る恐る老作曲家に接している。もともと誇り高くわがままな人物だったのだろうが、今や彼の体は至るところ蝕まれていて、肌に風が当たっただけで、シーツに折り目ができていただけで痛みを覚えるほどだったから、その傍若無人の振舞も大目に見てやらなければならない。
しかも作曲家とその妻がひっそり暮らすその家が陰気で恐ろしい。穏やかな風光明媚な片田舎に位置していながら、その内部には幽霊屋敷さながら不吉な禍々しさが満ちていた。
主人公の青年はまず音楽室に招じ入れられるのだが、そこにはゴーギャンが描くタヒチの女が陰気な眼差しで横たわっていた。彼のために用意された居室には、エドヴァルド・ムンクの不気味な版画がずらり掛けられていて、とても安眠できそうもない雰囲気を醸す。
この映画を観る三か月前の1969年11月、小生は東京・銀座の小さな画廊(東京画廊)で「ムンク版画展」を鑑賞し、その底知れぬ魅惑と磁力に惹きつけられていたから、そのとき青年が感じたであろう恐怖とおぞましさを、我がことのように理解できたのである。
(つづく)