すっきり目覚めて外出の支度。今日から始まる展覧会に朝から出向く。もう待ちきれない気分なのだ。目的地は近隣の千葉市美術館。同じ市内とはいえ、JRとモノレールを乗り継ぐと一時間近くかかる。到着したのは十時を少し過ぎたあたり。一番乗りとはならなかったが、朝寝坊の小生としては上出来だ。
始まった展覧会は「ウォルター・クレインの本の仕事」という。副題は「絵本はここから始まった」。もちろん以前から英国にはチャップ・ブックの歴史があり、以前から絵本は作られ、売られていたのだが、多彩な挿絵を配し、高度な技術と美意識を有する本格的な絵本の作者という意味では、たしかにウォルター・クレインは近代的絵本の始祖と呼ぶに相応しい人物だ。
主催者の口上を美術館HPからまるごと引いておこう。
ウォルター・クレイン(Walter Crane 1845-1915)は、19世紀後半にイギリスで活躍し、現代の絵本の基礎を築いた重要な画家の一人であり、また、ウィリアム・モリスとともにアーツ・アンド・クラフツ運動を推進したデザイナーとしても知られています。
1845年、画家の息子としてリヴァプールに生まれたクレインは、木口木版の工房に入りデッサンの基礎を学びます。その後、多色刷木口木版の技術を開発した彫版師・刷師のエドマンド・エヴァンズに才能を見いだされ、二人は1865年に全ページカラー刷りのトイ・ブック(簡易なつくりの絵本)を生み出します。その後、彼らが次々と世に送り出した絵本は高い評価を得て、クレインは子どもの本の画家として一躍有名になります。見開きページ全体の調和を重視したクレインは、絵本そのものの設計に目を向けた最初の画家・デザイナーといえるでしょう。一方で、当時の日本の浮世絵から学んだことも指摘されています。
1877年以降、クレインはトイ・ブックの仕事から離れますが、生涯にわたって挿絵の分野で数々の傑作を生み出します。その一方で、壁紙、テキスタイル、室内装飾などのデザイナーとして、教育者、画家、熱心な社会主義者として多方面で活躍しました。
本展は、本の仕事を中心にクレインの芸術を本格的に紹介する日本で初めての展覧会であり、ほぼすべての絵本と主要な挿絵本を網羅する約140点を展観します。またクレインとともに絵本の黄金時代を築いた画家ケイト・グリーナウェイとランドルフ・コールデコットの作品約40点もあわせてご覧いただきます。ウォルター・クレインの絵本について知ったのは1980年初めのこと。きっかけは小野二郎さんの「レッサーアートの栄光」という雑誌連載だった。その第一回目にたまたまウォルター・クレインの「トイ・ブック」での仕事が面白く紹介されていた。思うにこれが事の発端だったのである。
その少し前に石井桃子の監修で『複刻 世界の絵本館 オズボーン・コレクション』(ほるぷ出版、1979)という高価なセットが刊行された。そこに含まれていたクレインの『古いお友だちのアルファベット』『長ぐつをはいた猫』そして『幼な子のイソップ』の三冊をバラ売りで手に入れ、矯めつ眇めつ眺めて愉しんでいた。
ほどなくして、あれは1983年だと記憶するが、神保町の靖国通りにあった美術洋古書専門の松村書店で『パンの笛 Pan Pipes』(1883
→表紙 →扉絵)という大判の絵本(というか挿絵入り楽譜集)を見つけ、数日の逡巡のはてに購入した。二万円だったか二万五千円だったか、値段はもはや定かでないが、いずれにせよ貧書生の身には高嶺の花だったはず。清水の舞台から飛び降りる心持で手にしたのだ。百年前の多色刷り木口木版の繊細で精緻な美しさは筆舌に尽くしがたく、オフセットの網点印刷による覆刻版とは雲泥の差、まさに月と鼈。頁を捲る手が震えた。絵本はオリジナルに限る! 小生のヴィンテージ絵本渉猟はここから始まる。
思い返すとわが1980年代は19世紀末の絵本に憧れた十年だった。乏しい懐具合と相談しながら、ウォルター・クレインが彫版家エドモンド・エヴァンズと組んだ「トイ・ブック」二冊(
→『ふざけたABC』、
→『幼子のABC』)、クレイン&エヴァンズの木口木版絵本の最高峰『幼子のオペラ』(
→表紙)と『幼子の花束』(
→表紙)を手に入れ、ランドルフ・コールデコットの「トイ・ブック」、ブーテ・ド・モンヴェルやフローレンス・アプトンの絵本とともに展覧会に貸し出すまでに至る。1989年夏、栃木県立美術館で催された「
物語る絵 19世紀の挿絵本」展である。身のほど知らず。わが病はいよいよ膏肓に入ったのだ。
1989年に定職を得て生活が少し上向いたため、90年代半ばから毎年のように絵本蒐書のためロンドンやパリを訪れた。とり憑いた疾病はいよいよ重篤さを増したわけだが、不思議にもわがウォルター・クレイン熱は跡形もなく失せていた。
その理由は単純だ。絵本に対する小生の嗜好が大きく変化し、クレインやコールデコットの次世代である
ウィリアム・ニコルソンや、両大戦間にフランスで活躍した
アンドレ・エレ、更には20世紀絵本を先導した1920~30年代の
ロシア絵本へと俄かにシフトしていったからだ。ロンドンの古書市で面識を得た絵本専門の博雅な店主たちから薫陶を受けた結果である。1997年秋に出張先のパリで遭遇したロシア絵本の大展覧会は、その後の小生の蒐書活動に決定的な影響を及ぼした。
そんな次第だから、この展覧会には格別の感慨がある。ウォルター・クレインの絵本とは実に四半世紀ぶりの再会だ。若い頃に深く愛した女人と再び相まみえるような、嬉しくもほろ苦い邂逅というべきか。早起きしたのはその故だ。
会場には小生に馴染深い絵本、全く知らなかった絵本、さらにはシェイクスピアや自作詩文による大人向けの挿絵本、ウィリアム・モリスとの合作など、ウォルター・クレインの「本の仕事」の全貌がつぶさに展観されて実に壮観である。口上にある「
ほぼすべての絵本と主要な挿絵本を網羅する約140点」に偽りはなく、じっくり観ていると三時間は優にかかりそうだ。
ただし観る側の集中力には自ずと限界があり、今日のところは「トイ・ブック」のセクションを丹念に凝視したあたりで疲労困憊、あとはざっと眺めながら通り過ぎ、一時間半ほどで退散。こんな大規模なクレイン展はもう二度とないだろう。
会期中に何度か足を運ぶつもりなので、早計は禁物なのだが、今日の感想を総括するならば、クレイン絵本の最高峰はやはり彫版家エヴァンズとの協働作業にとどめを刺す。1870年代のトイ・ブック中期~後期の練達でスタイリッシュな諸作(代表例は
→『美女と野獣』)、それに三部作『幼子のオペラ』『幼子の花束』『幼子自身のイソップ』(
→表紙、
→一葉)、そして『パンの笛』が最も驚嘆すべき高みに達しているとの思いを強くした。
その後80年代に入って木口木版から石版へと印刷技法が移行すると、クレインの画風もまた素描スタイルを生かした流麗自在なものへと変化し、紙面における枠意識が弱まる。『フローラの祝宴』(
→一葉)、『シェイクスピアの園に咲く花々』(
→一葉)などの諸作は一見すると華やかだが、「物語る絵」としての緊張感は後退し、型に嵌まったマナリズムが際だつ印象が否めなかった。
もっともこれは時代を追って眺めていくうち疲労困憊した当方の側の問題かもしれない。次回は展覧会を逆向きに歩いてみたい。