ネヴァーモア~ディーリアスと世紀末――
晩年の隠遁者のような姿からはほとんど想像できないのだが、若き日のディーリアスは喧騒と頽廃に満ちた大都会を好んでいた。
1890年代のパリ。その爛熟した雰囲気のなか、彼はゴーギャン、ムンク、ミュシャといった世紀末画家たちと親しく交わった。後に伴侶となるドイツの女性画家イェルカ・ローゼンと出会ったのも、同じ19世紀末のパリにおいてだった。
とりわけノルウェーの画家ムンクとは気が合ったらしく、両者の交遊はその後四十年以上、ディーリアスの死の年に至るまで続いている。ムンクと手になるこのディーリアスの肖像版画(
→これ)はふたりの友情のなによりの証であり、老いの影の漂う五十八歳の作曲家の風貌を余すところなく描き出している。
世紀末美術とディーリアスとの関係を考えるうえで欠かすことのできないのは、ゴーギャンの油絵《ネヴァーモア》(1897
→これ)である。
1898年秋、はるばるタヒチからパリに送られてきたゴーギャンの新作に、ディーリアスは一目惚れしてしまう。彼は伯父の遺産から五百フランを捻出して、この憂鬱な表情をした南国の女を手中に収めたのである。
これを伝え聞いたゴーギャン自身も、「ディーリアスが持ち主になってくれて本当に嬉しい。投機的な目的でなく、気に入って買ってもらえたのだから」と、ことのほか喜んだ。
ディーリアスはこの絵を宝物のように大切にし、長くグレ=シュール=ロワンの自宅の音楽室に飾っていた。1912年にイェルカ夫人が描いた彼の肖像画(
→これ)でも、背景に《ネヴァーモア》がさりげなく配されている。
ところが第一次大戦後の1923年、彼は経済的事情からやむなくこれを手放すことになってしまう。そこで夫人は自らその忠実な原寸大の模写をつくり、音楽室の同じ場所に掲げたのである。
フェンビーが目にしたのは、このイェルカ版の《ネヴァーモア》だったわけである。