心のこもった懇切なお手紙をいただき、大いに嬉しく思っています。
私の音楽がお若い方に受け容れられていると聞くと、いつも喜びを禁じ得ません!
スカーバラはよく知っております。学生の時分はフィリー(Filey)で夏休みを過ごしたものです。あの海辺で過ごした幸福な日々の思い出は、今なお瑞々しく蘇ります。
おそらく来年、フィルハーモニー合唱団がケネディ・スコットの指揮で《生のミサ Mass of Life》を再演するはずです。そのときは貴方もお聴きになれるでしょう。
心からのご挨拶とともに。
敬具
フレデリック・ディーリアス
この一通の短い返書が青年エリック・フェンビーの人生を大きく変えた。ほどなく彼は盲目の老作曲家に宛てて、自ら住み込みの助手を志願する手紙を書き送ることになる。
パリ郊外のグレ=シュール=ロワンのディーリアス邸で、作曲助手としてともに過ごした五年間の苦闘の日々について、エリック・フェンビーは回想記『私の知ったディーリアス Delius As I Knew Him》(1936)で生々しく書き記している。この稀有な書物を何度読み返したことか。
このたび、英国在住の気鋭のヴァイオリニストでディーリアスの音楽に打ち込んでおられる小町碧さんの手で、本書が『ソング・オブ・サマー~真実のディーリアス~』として日本初訳される(アルテスパブリッシング、11月刊行予定)。併せて四曲あるディーリアスのヴァイオリン・ソナタを一夜で披露する貴重なリサイタルも催されるという。
https://www.facebook.com/midori.komachi.violin/posts/828345980649614
もう半世紀近い古参のディーリアン(ディーリアス愛好家)として、小生も心からその成功を祈るとともに、微力ながら応援の気持ちをこめ、フェンビーとディーリアスにまつわる秘話を少しばかり開陳しようと思う。
なにぶん四半世紀以上も前に綴ったたどたどしい旧文なので(連載「12インチのギャラリー」最終回、初出=季刊誌『ListenView』1991年7月、音楽出版社)、修辞や表現が幼稚で古めかしいところがあるが、できるだけ手を加えず、そのままを書き写すことにしたい。(明日から数回の予定です)