1969年に若杉弘、畑中良輔、三谷礼二、栗山昌良らが結成したこの小さな団体は、従来のオペラ上演への果敢なアンチテーゼとして、発足当初から注目すべき活動を展開した。第一年度の演目を書き写してみる。
ガルッピ《田舎の知恵者》+オルフ《賢い女》
作者未詳《ダニエル物語》+ヒンデミット《ロング・クリスマス・ディナー》
バッハ《コーヒー・カンタータ》舞台版+メノッティ《霊媒》
テレマン《ピンピノーネ》+プーランク《声》
古典派以前の埋もれた舞台作品と20世紀オペラを組み合わせて一夜の演目とする。これこそが東京室内歌劇場の得意技だった。
ヴェルディとプッチーニ、ワーグナーとシュトラウスに代表される、大規模で製作費が嵩む「グランド・オペラ」の向こうを張った、ささやかな「室内歌劇」を提唱したのである。大オーケストラに対する室内楽のような存在といえようか。登場人物は限られ、舞台装置も簡素に、伴奏はピアノ一台か、せいぜい数人の室内楽。これだったら自分たちの力だけで実現できる。創立メンバーたちはそう考えて実行に移したのだ。この国に曲がりなりにもオペラ専用の国立劇場ができるのは、それから三十年近くのちのことだ。
東京室内歌劇場の営みは、話題を近代フランス・オペラに限ってもたいそう興味深い。発足一年目の演目に早くもコクトー=プーランクの《声(人間の声)》が含まれていたが、それからもこの団体は折に触れて次のような興味深いフランス物を上演している。
プーランク《ティレジアスの乳房》(1971年5月)
ストラヴィンスキー《うぐいす》(1972年2月)
ミヨー《哀れな水夫》(1975年6月)
ストラヴィンスキー《マヴラ》(1977年3月)
イベール《アンジェリック》(1978年10月)
ラヴェル《子供と呪文》(1982年12月)
ミヨー《小オペラ「エーゲ海三部作」》(1984年1月)
*《エウロペの掠奪》《見捨てられたアリアドネ》《解放されたテセウス》
ラヴェルの《子供と魔法》以外はすべて日本初演。東京室内歌劇場が近代フランス歌劇の紹介と実践に、どれほど大きな貢献を果たしたかが、おのずと了解されよう。
その後、同団体はしばらくの停滞期を経た1994年、創立メンバーの若杉弘を芸術監督に迎え、にわかに発足当初の若々しい意欲を蘇らせた。
1997年3月、若杉弘が指揮したモンテヴェルディの《ポッペアの戴冠》――歌舞劇《花盛羅馬恋達引(はなのろおまこいのたてひき)》と題され、舞台設定を平安時代に置き換えた上演――は、歌舞伎役者の市川右近による典雅な演出、邦楽器まで駆使した三木稔のリアリゼーションが見事に決まって、わが国のオペラ史上に残る目覚ましい舞台となった。
オペラ開眼が遅れに遅れた愚か者の小生も、この時期の公演には足繁く通ったものだ。ヒンデミットの《ロング・クリスマス・ディナー》、ブリテンの《ヴェニスに死す》、プレヴィンの《欲望という名の電車》・・・。いずれも忘れがたい強烈な印象を残している。
惜しむらくは、これらの優れた成果が録音や映像としては記録されず、数枚のスチル写真のほかは跡形もなく消滅してしまったことである。プロダクションの充実ぶりを検証できないのは歯痒いばかりだ。まあ、それが舞台芸術の宿命といえば、それまでなのだけれど。
ところが十日ほど前、某オークションに驚くべきヴィデオが出現した。東京室内歌劇場の公演を記録したVHSだという。幸い競合相手は現れず、540円という嘘のような安価で落札できた。三日ほど前それが届いた。
東京室内歌劇場〈ジャン・コクトー/オペラ二題〉
《声》(一幕の抒情歌劇/訳詞上演/若杉弘訳)
台本=ジャン・コクトー
作曲=フランシス・プーランク
出演=釜洞祐子
ピアノ=河原忠之
《哀れな水夫》(全三幕/原語上演)
台本=ジャン・コクトー
作曲=ダリウス・ミヨー
出演=経種廉彦、岩井理花、多田康芳、堀野浩史
演奏=東京室内歌劇場オーケストラ
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芸術監督/若杉弘
指揮/佐藤功太郎
演出/中村敬一
2002年9月1日、新国立劇場 小劇場
東京室内歌劇場 第101回定期公演
コクトー台本による「六人組」メンバー作曲のオペラ二本立という心憎い企て。どうです? これは何としても観たくなるでしょう?
小生は幸運にもこの「第101回定期公演」に居合わせた。
ただし、とても変則的なことだが、この公演ではプーランクのモノオペラ《声》のヒロインをひとりに絞り切れず、釜洞祐子(9月1日)、堀江眞知子(同2日)、高橋薫子(同3日)が日替わりで舞台に立った。釜洞のみが若杉の日本語訳詞で歌い、堀江と高橋は原語上演だったと記憶する(いずれもピアノ伴奏)。なんでそんなことになったのか、舞台裏では女の争いというか、「私こそヒロイン」と言い張る三人それぞれの顔を立てて・・・という事情があった、とそのとき噂されたものだ。
小生は贔屓にしていた堀江眞知子さんの日に出かけたので、ヴィデオに収録された釜洞さんの舞台は観る機会を逸した。併演された《哀れな水夫》は同キャストによる上演をたしかに目にしたはずだが、もう細部までは定かに思い出せない。
現品が届くまでは、これはおそらく内輪で資料用に撮影し、関係者に配布するだけの私家版VHSだろうと踏んでいたのですが、実際にはちゃんと定価(4,980円)が付いた正規商品でした(制作・著作=東京室内歌劇場/シアターテレビジョン)。詳しい解説書も封入。しかもこの組み合わせでTV放映されたこともあるとのこと。番組用にきちんとカット割りされた収録映像らしい。
ひとつだけ重大な問題がある。
拙宅にはもはやVHSの再生装置がないということだ。