やっと原稿が校了したので映画館へ赴こうとしたら家人が風邪気味だという。咳がなかなか引かない。そうこうするうち上映最終日になったので単身上京、TOHOシネマズ六本木へ。界隈の空疎な喧騒は大の苦手なのだが致し方ない。
「ナショナル・シアター・ライヴ」、すなわち英京の舞台のライヴ・ヴューイングである。主催者のHPから概要を引く。
深く青い海 The Deep Blue Sea
劇場/ナショナル・シアター「リトルトン・シアター」
収録/2016年6月
上映時間/約150分 (休憩含む)
作/テレンス・ラティガン
演出/キャリー・クラックネル
美術/トム・スカット
出演/
ヘレン・マックロリー (ヘスター・コリアー)
トム・バーク (フレディ・ページ=失業中のパイロット、ヘスターの愛人)
ピーター・サリヴァン (ウィリアム・コリアー=判事、ヘスターの夫で別居中)
ニック・フレッチャー (ミラー氏=元医者、アパートの住人)
マリオン・ベイリー (エルトン夫人=アパートの大家)
ヒューバート・バートン (フィリップ・ウェルチ=アパートの住人)
ヨランダ・ケトル (アン・ウェルチ=フィリップの妻)
アデトミワ・エドゥン (ジャッキー・ジャクソン=フレディの呑み仲間)
口上/第二次世界大戦後のロンドン。何不自由なく夫と暮らしていたへスターだったが、若い元空軍パイロットのフレディに心を奪われ、駆け落ちしてしまう。しかし、フレディの愛に物足りなさを感じた彼女は・・・。20世紀イギリスを代表する劇作家テレンス・ラティガンの1952年初演作。過去に二度映画化され、ヴィヴィアン・リーとレイチェル・ワイズといった実力派女優がヒロイン・へスター役を演じてきた。今回同役に挑むのは、ナショナル・シアターによる舞台『メデイア』(14年)での熱演が記憶に新しいヘレン・マックロリー。 テレンス・ラティガンの芝居は観たことも読んだこともなく、その映画化も知らない。全くの白紙状態でスクリーンに対峙した。
開幕いきなり主人公がアパートの部屋で自殺しかける。介抱する住人たちの会話から、彼女と同居する若者とが夫婦ではないこと、彼女は同じロンドンに住む裕福な判事の元を飛びだし、趣味の油絵に生甲斐を見出そうとしていること、自堕落な浮気相手とアパートで暮らしていること、その若者がどうやら定職に就いていないこと、など諸事情が次々に判明する。
一命を取り留めたものの、彼女の悩みは底なしに深い。急を聞いて駆けつけた別居中の夫も、懊悩する主人公の助けにはならず、ゴルフから戻った同居人は彼女を持て余すばかりで、精神的な支えとなる度量がない。第二次大戦中パイロットとして活躍したが、戦後は居場所を失い、酒に溺れている。どちらの男も彼女に生きる望みを与えるどころか、失望をもたらすばかりなのだ。
どこにでもある男女関係の齟齬、痴話喧嘩の果ての「出口なし」の物語だ。しかも語り口はすこぶる冷静、むしろ冷徹に突き放すから、観客に安易な感情移入を許さない。観ているだけでひりひり辛くなってくる。
舞台の充実ぶりに片時も目が離せない。屈指の名優たちがいかにもそれらしく人物を演じるのだが、演出家の手綱がほどよく全体を統御し、過剰な演技を抑制している。だから却って事の顛末がじわじわと胸を締めつけるのだ。
とりわけ素晴らしいのが舞台装置である。間口いっぱいにアパートの空間(居間、台所、寝室)が精密に再現されているばかりか、その上層には二階の部屋がしつらえられ、共同階段で昇降もできる(
→これ)。
それらの場所は直接ドラマに登場しないが、半透明になった壁ごしに透けてみえる仕掛けになっており、主人公の部屋はいつも周囲から聞き耳を立てられ、覗き見されている塩梅である。この舞台装置は冒頭から大団円まで一貫して同一のまま。ロンドン下町の雑居アパートという設定を見事に生かしたセッティングだ。
この深く昏い海底のような物語で、唯一の救いとなるのは、彼女に救命処置を施し、その後も何くれとなく世話するアパートの住人ミラー氏だ。彼は医者のようにふるまうが、実は免許を剥奪された元ドクター。投獄された過去を隠しもつ。最後の場面で彼は主人公の絵を褒め、「この現実と貴女の意志との闘いがどんなに不公正なものか、わかるのは貴女自身だけだ。それでも貴女は死ぬのではなく、生きるのです」と諭す。
愛人にも去られ、独り部屋に取り残された主人公がコンロで目玉焼きを調理し(これは台本にはない演出らしい)、それを貪り食うところで幕。
この芝居には作者ラティガンの実体験が色濃く投影されているそうだ。
同性の恋人が彼と別れた直後に自殺した出来事が、執筆の直接の契機になったのだという。1950年代初頭の英国では同性愛はご法度なので、それをもとに主人公ヘスターの人物像を造形したらしい。さらに推量するなら、劇中の元医師ミラー氏が不当にも資格を奪われ、投獄までされたのも、おそらくは同性愛の罪によるものではないか。
演出家キャリー・クラックネルが幕間のインタヴューで語るところによれば、《深く青い海》のヘスターを造形するにあたり、常に念頭にあったのは《人形の家》のノラだという。家庭という名の牢獄から逃れ、独りで生きることを選ぶ展開が瓜二つなのだ。イプセンの生きた前世紀末も、ラティガンの生きた戦後も、女性が単身で生き抜くのが困難な時代という点では何ら変わりがなかったのだ。