先月末には疾うに届いていたのだが、暑さにへばったり、執筆に手古摺ったりして紹介がついつい後回しになってしまった。
チャペック兄弟に対する愛着では人後に落ちぬつもりでいた。それなのに2015年10月に東京外国語大学で催されたというシンポジウム「チャペック兄弟とその時代」のことを愚かにも気づかなかった。今さら悔やんでも後の祭りだが、幸いにも当日の内容をほぼすべて収録した書籍が今年になって刊行されていた.だがその事実すら、これまた最近ようやく知った。粗忽者の誹りを免れまい。
市販されていないので、版元に連絡して取り寄せた。表題と目次を記そう。
飯島周/小野裕康/ブルナ・ルカーシュ(編)
カレル・チャペック誕生125周年 ヨゼフ・チャペック没後70周年 記念論文集
チャペック兄弟とその時代
日本チェコ協会、日本チャペック兄弟協会、
東京外国語大学文化学部チェコ語
2017年3月25日 初版発行 →書影
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第一部 K・チャペックとその時代
篠原琢: 雑誌『六月』と第一次世界大戦
林忠行: カレル・チャペックと政治
石川達夫: チャペックとマサリク――キュービズムと多文化社会
篠原琢・林忠行・石川達夫: K・チャペックとその時代(討論)
第二部 K・チャペックと日本
ペトル・ホリー: チャペック兄弟と築地小劇場
ブルナ・ルカーシュ: 戦間期の日本とK・チャペック
――劇作家から散文家へと変わる作家像を辿って
ブルナ・ルカーシュ: K・チャペックの邦訳年表 (1923-1945)
第三部 チャペック兄弟の文学
飯島周: 作家としてのヨゼフ・チャペック
河岸唱平: カレル・チャペックのSF的作品
――SF/ユートピア文学史における『ロボット』
安部賢一: ヨゼフ・チャペックと戦争
マルケータ・ブルナ・ゲブハルトヴァー: 一つの物語、二つの作品
――K・チャペックの『マクロプロス事件』とL・ヤナーチェクによる同名オペラどうです、目次を眺めているだけでワクワクする。手の舞い足の踏むところを知らず、という心持ちになる。チャペック好きならば誰しも同じ思いではなかろうか。
これだけ多くの論考が並ぶと壮観である。飯島周も石川達夫も数多くのチャペック訳書で馴染深い名前だし、林、篠原両氏は東欧政治史に幅広い知見をもつ。まずは盤石の人選といえよう。だから本書の「第一部」はチャペック兄弟の生きた時代を歴史的に読み解くには必読の内容だろうが、近代チェコ政治史に疎い者には些か荷が重く、縁遠いものと感じられた。
『R. U. R.(ロボット)』や『マクロプロス事件』を個別的に扱った「第三部」も充実しているが、小生には戯曲とオペラ、二つの『マクロプロス』を対比的に検討したゲブハルトヴァー女史の論考がことのほか興味深かった。
小生のような門外漢には、チャペック作品の日本への伝播史を扱った「第二部」が最も性に合っており、新知見に満ちた内容に目から鱗が落ちる思いで夢中になって読んだ。
チャペック作品の邦訳史については、今は亡き千野栄一の『ポケットのなかのチャペック』(晶文社、1975)を読んで以来、ずっと気に留めていた。時間をかけて戦前の翻訳をこつこつ買い集め、その蒐集の一端は鎌倉の神奈川県立近代美術館での「チャペック兄弟とチェコ・アヴァンギャルド」展(2002)に出陳したこともある。たいがいの書目は手許にあると密かに自負してきたのだ。
ところが本書「第二部」のブルナ・ルカーシュによる論考と年表に目を通して驚いた。度肝を抜かれたといってもよい。
カレル・チャペック作品のなかで最初に翻訳紹介されたのが戯曲『R. U. R.(ロボット)』であり、その初期の邦訳二種(宇賀伊津緒訳『人造人間』春秋社、1923/鈴木善太郎訳『ロボツト』金星堂、1924)がいずれも英訳からの重訳だった事実は夙に知られていたが、ルカーシュはその底本(Paul Selver訳)のあちこちに意図的なカットがあり、したがって二種の邦訳もまたチェコ語の原作と比して、細部にさまざまな欠落のある「不完全版」だった事実を明らかにする。どちらの邦訳も架蔵するというのに、今の今まで気づかなかったなあ。
さらにルカーシュは戦前の書目を博捜し、千葉亀雄が1930年に「現代チェツコスロヷキヤ文学」と題して、作家チャペックを中心にチェコ文学史を手際よく概観しているくだりを紹介するとともに、「戦前に訳されたチャペック作品の大半が戯曲だった」とする従来の説は謬見にすぎないと喝破する。
その実例として、ルカーシュはチャペック弟の園芸エッセイ『園芸家十二ヵ月』が1936年に内藤翁なる人物の訳でカーレル・ペック『園藝春秋』として初訳されていた新事実を明らかにした(英語からの重訳、月刊誌『文化農報』所載)。全体の四分の三ほどの抄訳ではあるが、チャペック兄の挿絵も添えられており、かなり忠実な訳業だという。そんな翻訳があったとは全く知らなんだ!
「第二部」では築地小劇場でのチャペック劇上演をめぐるペトル・ホリーの論考も興味が尽きない内容だ。
ホリーはまず、演出家・劇作家の北村喜八が雑誌『築地小劇場』に寄稿した「プラアグの演劇とチェペク兄弟」なる論考(1925年4月)を引用し、北村が当時のチェコ劇壇についてかなり正確な知識を有していたことを紹介する。次いでホリーもまた、上述のルカーシュと同様、戯曲『ロボット』の宇賀と鈴木による二つの先駆的訳業に言及するのだが、その力点はむしろ宇賀訳に基づく築地小劇場での『人造人間』上演(1924年7月初演)の経緯に置かれている(翌25年4月には北村喜八訳『虫の生活』も上演)。
驚いたことに、カレル・チャペックのもとには「築地小劇場の芸術監督」の肩書で高橋邦太郎がフランス語で書き送った手紙が1925年に届いており、そこでは東京で『人造人間』と『虫の生活』を原作者に無許可上演したことを謝罪し、改めて上演許可を求めているのだという。
更に吃驚仰天したのは、近年になってなされたプラハのカレル・チャペック邸の資料調査の過程で、築地小劇場における『人造人間』初演時のポスターが発見されたという報告だ。その図版も掲載されている。よくぞ保存されていたものだ!
このように、日本在住のホリー、ルカーシュ両氏の研究は実に微に入り細を穿ち、その綿密さには驚くほかない。流暢に綴られたお二人の日本語の巧みさにも舌を巻いた。
こういう研究こそ、本来ならば日本人の手でなされるべきだったと、些か悔しい思いに駆られもするが、お二人の研究成果に深々と頭を垂れる次第。
そうだ、近々葉山の神奈川県立近代美術館へ赴いたら、学芸員の籾山昌夫さんにこの本のことをお知らせしよう(先刻ご存じかもしれないが)。彼こそは2002年の「チャペック兄弟とチェコ・アヴァンギャルド」展の企画者なのだ。