ああ、ようやっと連載原稿を脱稿した。短文だからと油断するとしっぺ返しを喰らう。まして今回は未見の美術作品について書いたので確信がもてず仕舞い。締切日の七夕をやり過ごし、昨晩ようやく書き終えた。
私たちが知るモニック・アースといえば、ドビュッシーとラヴェルを得意としたピアニストとほぼ相場が決まっている。
それはそれで間違いではないが、若き日の彼女がパリで同時代の作曲家たちと深く関わり、プロコフィエフの第二ヴァイオリン協奏曲の世界初演に先立つ試演会(1935秋)で、委嘱者ロベール・ソエタンスの伴奏ピアノを弾いたことや、微分音の創始者イワン・ヴィシネグラツキーが作曲した四台ピアノのための難曲《ツァラトゥストラはかく語りき Ainsi Parlait Zarathoustra》の世界初録音(1938)に参加したことなどは、すっかり歴史の霧の彼方に霞んでしまった。
モニック・アースはバルトークの遺作である第三ピアノ協奏曲をレパートリーにし、初演者ジェルジ・シャーンドルや、ルイス・ケントナー、ゲーザ・アンダ、アニー・フィッシャーら、ハンガリー勢ピアニストに伍して、早い時期からその普及に尽くした。だがそうした貢献も、今では滅多に想起されなくなった。
とりわけ決して忘れてはならないのは、モニック・アースがルーマニア出身の作曲家マルセル・ミハロヴィチ Marcel Mihalovici(1898~1985)の配偶者であり、そのピアノのための作品の大半の初演者だったという事実だろう。
ミハロヴィチの名もまた今では耳にする機会が甚だ少ないが、ポーランドのタンスマン、チェコのマルチヌー、ハンガリーのハルシャニーらとともに両大戦間のパリで活躍した東欧勢の作曲家のひとりである。
ミハロヴィチとアースは第二次大戦の勃発とともに南仏へ逃れ、夫婦揃ってレジスタンス活動に従事したという。
本CDはそうした彼女の知られざる側面も含め、モニック・アースの多彩な活動を手際よく総括し、その全体像を彷彿とさせる。バイエルン放送協会に残された貴重な音源はすべてが初出(inédits)とのことだ。
戦後間もない時期のドイツの放送局の例に洩れず、ミュンヘンのバイエルン放送の録音技術は優秀であり、もちろんモノーラル収録ながら音質はまずまず上乗である。
モーツァルトとドビュッシーからは粒立った硬質な打鍵の美しさが随所にうかがわれ、ラザール=レヴィの愛弟子でロベール・カサドシュとルドルフ・ゼルキンに学んだモニック・アースの面目躍如といったところだ。
シューマンの協奏曲もライヴならではの感興たっぷりの好演だが、同じヨッフム指揮による正規録音(ベルリン・フィルと/Deutsche Grammophon)が存在する以上、この録音の有難味はさほど大きくない。
というわけで本CDの白眉は間違いなく、最後に収められたミハロヴィチ作品のライヴ録音だろう。
不勉強な小生がこれまで知り得たミハロヴィチ作品はヴァイオリン・ソナタなど数曲の室内楽に限られるので、この《トッカータ》なる協奏作品が彼の全仕事のなかでいかなる位置を占めるのか詳らかでないが、不協和音を厭わない激しい作風はバルトークとの親近性を明らかに示し、楽曲が産み出された1930年代当時にはさぞかし前衛的に響いたに違いない。
モニック・アースの演奏には迷いがなく、一貫して強い打鍵と攻めの姿勢でこの難曲を完全に手中に収めていることが、些か分離のよくないモノーラル録音からも聴き分けることができる。曲の誕生に深く関与したピアニストならではの演奏というべきか。
それに比して共演指揮者ルドルフ・アルベルト(1918年フランクフルト生)はかなり難儀しながらオーケストラを牽引している。響きは洗練されず荒っぽく、破綻はほうぼうにあり、とても安心して聴ける水準にないが、その生々しい格闘ぶりが却って、初演後十数年を経てもなお、この曲の書法が目新しいものだったことを物語ってもいよう。
せめて伴奏指揮が同時代音楽に長けたハンス・ロスバウトやヘルマン・シェルヘンだったらよかったのに、という望蜀の嘆もなくはないが、とにかくこの秘曲が初演者のピアノ演奏で聴けただけでもよしとしよう。
永く埋もれていた音源を発掘し、過去の演奏家の実像に迫ろうとする姿勢は、本盤のみならず、版元Tahra社のすべてのCDに通底するポリシーである。主宰者ルネ・トレミーヌとその夫人ミリアム・シェルヘン(指揮者シェルヘンの愛娘)は、とりわけシェルヘンの指揮遺産の再評価に大いに尽くしたが、モニック・アースには戦前からシェルヘンとの共演記録があり、その意味からもこれは「出るべくして出た」一枚なのであろう。ブックレットのライナーノーツにも格別な力が籠もっている。
ジャケットを飾る若き日のモニック嬢の肖像写真がことのほか印象的だ。何を隠そう、小生もまたその典雅な魅力につられて手にしたのだが、内容の充実ぶりは予想を遥かに超えていた。
どなたにもお奨めしたいが、製造枚数がよほど少なかったのか、早々と版元品切となり、発売後十年にして稀覯盤の仲間入り。トレミーヌの死とともにTahraレーベルそのものが消滅してしまった今、知られざる音源を世に出す地道な仕事を受け継ぐ者ははたしているのだろうか。