昨日(7月5日)は詩人ジャン・コクトーの誕生日だったそうだ。友人たちのフェイスブック投稿記事からそう知らされたのがもう夜更けだったので、あれこれ感慨に耽る間もなく日付が変わってしまった。
劇作家、小説家、映画監督、イラストレーターと多方面にわたって目覚ましいマルチ・タレントぶりを発揮したコクトーだが、ご当人はあくまでも「詩人」としての出自にこだわり、詩作以外のジャンルにおいても、“la poésie de théâtre” あるいは “la poésie cinématographique” などと、すべての活動に「詩」が通底することを強調してやまなかった。
コクトーの多岐にわたる仕事のうちで、小生が最も早くから親しんだジャンルは “la poésie graphique”――すなわち彼が生涯にわたって描いた自在なスケッチ風の素描だった。
中学生の頃だったろうか、叔父の家に遊びに行ったら、たまたま歿後まだ間もないコクトーに話題が及び、彼が絵付したという絵皿を見せられた。絵柄はお得意のオルフェの横顔(詩人の精神的自画像)だった。「コクトーの直筆だよ」と叔父は言い添えたが、まあこれは冗談に過ぎず、おそらく数多く焼かれたレプリカだっただろうが、それでも羨ましく手に取ったものだ。
長じてLPレコード蒐集に取り憑かれてからは、コクトーが折に触れて描いたアルバム・カヴァー(レコード・ジャケット)を手元に置いて、矯めつ眇めつ眺めては愉しんだ。その多くは拙著にカラー図版で収載したから、「どれもこれも絶品だ」と述べるに留めておこう。
言うまでもなく、コクトーの著作には自作デッサンを挿絵としたものが少なくなく、友人たちの似顔絵を集めたデッサン集も刊行されているのだが、今日ここで紹介したいのは、晩年の彼が表紙絵を手がけた "Guide à l'usage des visiteurs de la Chapelle Saint Blaise des Simples" (Éditions du Rocher, 1960) なる薄手の小冊子である(→これ)。
御覧のとおり、いかにもコクトーらしい猫の略画デッサンを配したシンプルな表紙だが、中身は写真集の体裁で、コクトーが内装壁画を施したパリ南郊ミイー=ラ=フォレ(Milly-la-Forêt)のサン・ブレーズ・デ・サンプル礼拝堂の案内パンフレットとして刊行されたもの。神保町の古書店で目にし、余りにも魅力的なので思わず衝動買いした。
付言しておくと、この表紙の猫は、礼拝堂の壁画の下隅に小さく描かれた上目づかいの猫の姿(→これ)を写したもの。コクトーは壁画の猫の腹のすぐ下に、自らのサインと記年と書き入れているので、ひょっとしてこの猫を自らの化身と考えていたかもしれない。
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さて、ここからはこの「コクトーの猫」から派生する余談になる。
1980年代の後半、たぶん87年か88年のことだったと記憶する。小生が神保町で書籍編集の見習いをしていた末期だった。靖国通りに並行した「すずらん通り」のさらに一本裏手の閑静な街路を歩いていて、とあるビルから突き出た小さな看板に、このコクトーの猫の姿を認めて目を丸くした(→これ)。
漫然とそぞろ歩いて見つけたのだったか、いや、そうではなく、誰か編集者と打ち合わせがあって、「この店で午後X時に」と指定されて出向いたような気がする。とにかく、猫の看板が目印の喫茶店「ペコパン」は、そのビルの地下一階、細い階段を降りたところでひっそり営業していた。
その店の空間は思いがけなく広々としていた。実際は雑居ビルの地下なので広いといっても多寡が知れるのだが、内装が白を基調とし、椅子の配置もゆったり、天井も心なしか高めだったような気がする。だから雰囲気は風通しがよく、地下空間につきものの閉塞感や息苦しさは不思議と感じられなかった。
店内で何よりもまず目を惹いたのは、四囲の壁に飾られたフランス映画のスチルとポスターの数々。とりわけフランソワ・トリュフォー監督作品《突然炎のごとく Jules et Jim》のフランス公開時の大判ポスター(→これ)があたりを睥睨するさまが圧巻である。
だからといって、この店が映画関係者やシネフィルの溜まり場かといえば、全然そんなふうでもなく、せいぜい入口付近に岩波ホールで公開される近作の予告チラシが置かれている程度なのである。
この店にはそれから何度も足を運んだのだが、いつ行っても静寂が保たれている。といっても人気(ひとけ)がないわけではなく、小声で物静かに会話する者たち、テーブルに紙束を広げて一心に眺める者など、いつも店内には先客がいたが、申し合わせたように誰もが礼をわきまえ寡黙だった。
神保町で禄を食む者の端くれとして、小生にもすぐ合点がいった。ここは書籍編集者たちの溜まり場なのだ。小学館、集英社、岩波書店は店からまさに指呼の距離にあり、その周辺には(当時の小生が奉職していたような)下請け編集プロダクションが数知れず蝟集していた。著者との打ち合わせや、ゲラの点検などに、明るく静かな喫茶店は打ってつけだったに違いない。
忘れずに書き添えておくが、ここの珈琲はかなり深煎りで絶品の味わいだった。メニューにはケーキの類もあったような気もするが、この店ではいつも珈琲だけを味わうものと小生は頑なに決めて通っていた。
カウンターには上品で物静かな中年の女店主がいて、ときに常連客と二言、三言、言葉を交わしているのを目にした。お顔立ちまでは思い出せないが、いつも穏やかな笑顔を絶やさず、まるでこの店そのものを体現したかのような、凛とした佇まいだったように記憶する。
1990年代に入ると、千葉の美術館に奉職した小生は古巣である神保町からすっかり足が遠のいた。それでも月に二度くらいの割で、古書店や中古レコード屋を巡り歩いたから、ときに思い出したように「ペコパン」に立ち寄っては濃い珈琲を所望した。ここはまるで時が止まったような空間で、いつも明るい静寂と《ジュールとジム》のポスターが変わらずにあった。
最後にこの店を訪れたのはいつのことだったろう。
たまたま手元に残る「ペコパン」の領収書には、懐かしいコクトーの猫のマークの下に「96年10月2日」と日付が記されており、このとき店が存続していたのは確かなのだが。
2003年に美術館を辞して再びフリーになった小生は、ふと思いたってこの店を探し訪ねようとしたが、もうそのときは廃業閉店し、跡形もなくなっていた。
ずっとあとで誰かから伝え聞いた話によれば、あの女店主は重篤な病に冒され、そのまま急逝してしまったという。店が閉じられたのもそのためで、2000年前後だったとのこと。もう地上のどこを探してもあの心地よい空間は存在しないのかと思うと溜息が出た。
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この記事を仕上げるため、神保町の「ペコパン」についてネット上で少し検索して、驚くべき事実を知らされた。
あの物静かな店主の名は山田祐子さんといい、なんと映画評論家の山田宏一さんの奥さんだったのだそうだ。知らなかったなあ。2000年5月5日、五十代の若さで乳癌で亡くなられた由。その少しあとに出た山田宏一さんのご著書が「祐子」なる女性に捧げられているのは、彼女の追悼のためだという。
あゝ、とここでまたしても大きな溜息。「ペコパン」の壁に大きく掲げられた《突然炎のごとく》のポスターは、トリュフォー監督と公私にわたり親交を深めた山田宏一さんの私物だったに違いない。あの喫茶店のおよそ世離れた、静謐と愉悦感に満たされた特別な空間は、山田ご夫妻の映画への尽きせぬ愛情から自ずと育まれた奇蹟的な場所だったのだ。
では、あの店の看板の「コクトーの猫」は誰の発案なのか? 「ペコパン」という店名の由来は? あらゆる問いという問いは吹き過ぎる風のなかへ、否応なく遠ざかる時の彼方へと、空しく消えていくばかりだ。