八百屋の店頭には西瓜やメロンがとっくに並んでいる。トマトもこれからの時節は露地物が出回るそうだ。この一郭だけはもう夏が到来したと云わんばかり。
散歩がてら公園を歩くと、そこここに薄紫や白のアガパンサスが咲き競う。つい一週間前には蕾だったのに、七月の到来を待たず一斉に開花した。
agapanthus の語源は agape と anthos ――すなわち「愛の花」だという。ただしアガペーとは神の愛、精神的な愛だから、神々しい天上の花のイメージだろうか。そうなると和名「紫君子蘭」ともどこか通じ合う。
この花を見ると、ああもう夏が近いのだと実感する。まだ梅雨はなかなか明けそうにないが、季節は確実に夏へと舵を切ったのだ。
湿り気の多い季節にはドビュッシーを聴きたくなる。たまたまポストに届いたピアノ曲集のCDが手許にあるので、今夜はそれを聴こう。外の雨はもうやんだらしい。
"Debussy: Images oubliées - Estampes - Images -- Fou Ts'ong"
ドビュッシー:
《忘れられた映像》
■ ゆっくり、憂鬱に、甘美に
■ ルーヴルの思い出/サラバンド
■ 「私たちはもう森へ行かない」のいくつかの貌
《版画》
■ パゴダ
■ グラナダの夕暮
■ 雨の庭
《映像》第一集
■ 水の反映
■ ラモー讃
■ 運動
《映像》第二集
■ 葉蔭を過ぎる鐘の音
■ そして月は廃寺に落ちる
■ 金の魚
英雄的子守唄
ピアノ/傅聰 (傅聪)1990年8月、ロンドン、セント・ジョンズ、スミス・スクエア
Collins 10522 (1990)
→アルバム・カヴァーこのディスクはたしかに架蔵し、愛聴すらしたのに、どこに紛れたのか行方不明。仕方なく買い直したのだが、それに値する珠玉の名演だ。あまたあるドビュッシーのピアノ演奏に伍して、確固たる存在を主張しうる価値ある演奏ではなかろうか。
中国生まれのフー・ツォンについて小生の知るところは少ない。上海で知的な両親のもとに育ち、戦後ワルシャワでショパン演奏の要諦を学び、1955年ショパン・コンクールで三位入賞。その後はもっぱらヨーロッパで活躍、ショパンとモーツァルトの演奏で高い評価を得た。文化大革命の混乱期に両親が糾弾され自殺に追い込まれる悲劇を体験した・・・そのくらいだ。
遠い昔、米Westminster盤LPでスカルラッティのソナタ集とモーツァルトの協奏曲(たしか二十五番と二十七番)の目覚ましい演奏を聴いた記憶がある。
だからこのドビュッシーもなんの予備知識もなく聴いたのだが、その感興に満ちた、どこにも作為のない恬淡とした演奏にひどく心惹かれた。とりわけ《忘れられた映像》と《版画》の燻し銀のような味わいに魅了される。後者の第三曲「雨の庭」と、その初期形である前者の第三曲とを聴き比べられる愉しみもある。
同じこの英国Collinsレーベルには彼が弾いたスカルラッティのソナタ集の名演もあり、それについては少し前に紹介したことがある(
→ここ)。
ちょっと調べたら、彼には別レーベルに残したドビュッシーの前奏曲集と練習曲集の全曲録音もあるらしい。いつか出逢う機会があるといいのだが。