(承前)
指揮者ゲンナジー・ロジェストヴェンスキーをラヴェルの歌劇へといざなったのは、彼の実母ナターリヤ・ロジェストヴェンスカヤ(1900~1997)だったそうだ。
モスクワ放送の専属ソプラノ歌手として活躍した彼女は、幾多のオペラや演奏会に出演する傍ら、数か国語に通じたポリグロットな語学力を生かしてシュトラウスの《アラベッラ》、ストラヴィンスキーの《放蕩者の遍歴》など、外国のオペラの歌詞のロシア語訳を数多く手がけた功績でも知られる。
ソ連時代、《カルメン》であれベートーヴェンの《第九》であれ、他国の声楽作品は歌詞を自国語で歌うのが習わしだったから、この種のオペラ露語訳には需要があったのだ。
おそらく1950年代後半のことと思われるが、ロジェストヴェンスカヤがモスクワ放送の演奏会で、息子の伴奏指揮によりラヴェルの管弦楽伴奏の歌曲集《シェエラザード》を披露することになった。もちろん彼女の露語訳を用いてである。
その際、何かアンコール用にふさわしい楽曲を物色していて、たまたま手元に楽譜があった小品《五時のフォックストロット》に目を留めた。ラヴェルの二作目の歌劇《子供と魔法》のなかで、中国茶碗とウェッジウッド製ティーポットが歌う奇想天外な二重唱である。このオペラはソ連国内では一度も上演されたことがなかったが、どういうわけかこの二重唱だけはウクライナで(!)ピアノ伴奏譜が出版されていたのである(おそらく海賊版)。
ロジェストヴェンスカヤ母子はモスクワじゅう八方手を尽くして《子供と魔法》の総譜を捜したのだが、どうしても見つけることができなかった。スターリン時代、西側の作品は演奏も研究もおしなべて忌避されていたから、ボリショイ劇場にもモスクワ音楽院にも放送局にも、ラヴェルのオペラの楽譜がどこにも架蔵されていなかったのは当然である。
そこで窮余の一策としてこの《五時のフォックストロット》にロジェストヴェンスキー自身が新たなオーケストレーションを施し、この形で演奏会にかけたという。
その少しあと、ロジェストヴェンスキーはたまたま演奏旅行でパリを訪れる機会に恵まれ、寸暇を惜しんでマドレーヌ広場にあった楽譜出版社デュランの店に立ち寄った。フランス音楽の棚を物色していると、そこにはなんと、垂涎の的である《子供と魔法》の総譜が一冊あるではないか!
なんたる僥倖! 千載一遇の機会とはこのことだ! 色めき立ったロジェストヴェンスキーは所持金をかき集めたが、それでは足りず、同行した知人からも借金してこの貴重な楽譜を買い求めた。
その晩、ホテルに戻ったロジェストヴェンスキーは逸る心を抑えつつ、震える手で総譜を捲り、あの《五時のフォックストロット》の該当箇所を点検した。ラヴェルのオリジナルのオーケストレーションをどうしても確かめずにいられなかったのである。彼は苦笑しながらこう回想する。「いやはや、やはりラヴェルの腕前のほうが一枚上手だったよ!」。
この話にはもう少し続きがある。
まだ楽譜を探し足りないと思ったのだろう、ロジェストヴェンスキーはその翌日、再度デュランの店に足を運んだ。そして前日《子供と魔法》の譜面を見つけた棚のあたりにふと目をやって愕然とした。その箇所には同じもう一冊が新たに補填されて並んでいたのである! なんのことはない、彼が胸ときめかせて手に取った楽譜は、稀覯本でも掘出物でもなく、誰もがいつでも買うことのできる通常在庫に過ぎなかったのだ。
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これは単なる笑い話では済まされないエピソードである。パリでは音大生や愛好家がたやすく入手できる普通の楽譜が、ロジェストヴェンスキーの目には値千金の至宝さながらに映ったというのだから。
1930年代このかた二十年以上も続いた「文化的鎖国」政策の結果、欧米の芸術動向から隔離されて自閉したソ連の楽壇は、すっかり時代から取り残されてしまっていた。当時のソ連きっての西欧通ロジェストヴェンスキーにして、この体たらくだったのである。
こうして鉄のカーテンをかいくぐってモスクワに持ち込まれたラヴェルの《子供と魔法》の総譜を、彼は無駄に死蔵したりはしなかった。
すぐさま自らスコアの隅々にまで目を光らせ、精密きわまるラヴェルの管弦楽法の秘術を味わい尽くすとともに、母ナターリヤの手に委ねて、コレット作の台本を歌いやすいロシア歌詞に翻訳するよう促したのだ。
その成果はほどなく一枚のLPアルバムとなって世に出た。1962年のことだ。
モーリス・ラヴェル Морис Равель:
歌劇《子供と魔法 Дитя и волшебство》
子供/ニーナ・ポスタフニチェワ Нина Поставничева
母/アンナ・マチューシナ Анна Матюшина
安楽椅子/アレクサンドラ・ヤコヴェンコ Александра Яковенко
肘掛椅子/ユーリー・ヤクシェフ Юрий Якушев
時計/ヴィクトル・セリワノフ Виктор Селиванов
茶碗/リュドミラ・シーモノワ Людмила Симонова
ティーポット、蛙/ユーリー・エリニコフ Юрий Ельников
火/クララ・カジンスカヤ Клара Кадинская
王女/グラフィラ・サハロワ Глафира Сахарова
算術/ヴラジーミル・チュイキン Владимир Чуйкин
牡猫/イワン・ブドリン Иван Будрин
牝猫/タマーラ・メドヴェージェワ Тамара Медведева
樹/ゲンナジー・トロイツキー Геннадий Троицкий
蜻蛉/ニーナ・ザボルスキフ Нина Заборских
夜鶯/リュドミラ・イサーエワ Людмила Исаева
蝙蝠、梟/リジヤ・カザンスカヤ Лидия Казанская
栗鼠/ニーナ・ポリャコワ Нина Полякова
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー Геннадий Рождественский 指揮
モスクワ放送交響楽団&モスクワ放送声楽アンサンブル
Оркестр Всесоюзного Радио и Ансамбль Песни Всесоюзного Радио
1962年、モスクワ
Международная книга Д—010633/34 (1962) →アルバム・カヴァー
上に記した配役は、レーベル面に略記された欧文キャスト名からキリル表記を復元したものなので、あちこち誤りが含まれるかもしれない。
おそらく多くはモスクワ放送に所属する歌手たちと思われ、まるで知らない名ばかりだが、牝猫に扮したタマーラ・メドヴェージェワは、同時期にモスクワで録音されたプロコフィエフのオペラ《三つのオレンジへの恋》史上初の全曲盤(ダルガート指揮、1961)でリネッタ王女を歌った歌手ではなかろうか。
因みに、ティーポットと蛙に扮したユーリー・エリニコフは前項で紹介したロジェストヴェンスキー指揮《スペインの時》LPでゴンサルベ役を歌っており、牡猫のイワン・ブドリンは同じくラミロ役を務めている。いずれもロジェストヴェンスキーの信頼が厚い歌手たちだったのだろう。
小生はこのディスクを昨年たまたま海外の某オークション・サイト経由でドイツの出品者から手に入れた。
Международная книга すなわち「国際図書公団」レーベルからも明らかなように、これはあくまで国外向けのLPであり、画像に掲げたジャケット表には標題がロシア語とフランス語で、ジャケット裏には簡単な解説が英語と露語で記されている。カラフルで洒落たアルバム・カヴァーも当時のソ連盤にしては垢抜けており、世界各地の愛好家を意識したものだろう。もっとも、ラヴェルのオペラをわざわざロシア語で聴こうという物好きが他国にそれほど存在したとは思えないのだが。
前項でこのLPの姉妹盤である《スペインの時》(忘れずに付記すると、こちらの露語訳もまた母堂ナターリヤの手になる)がスタジオ録音としては史上五番目だと指摘したが、このロジェストヴェンスキー指揮《子供と魔法》も同様に、管見の限り、エルネスト・ブール盤(1947)、エルネスト・アンセルメ盤(1954)、ロリン・マゼル盤(1960)に続く史上四番目の録音なのだ。念のため、拙ブログに掲載した《子供と魔法》全ディスコグラフィをリンクしておく(→ここ)。
こうした歴史的事実に鑑みると、ロシア語の歌唱による唯一の演奏であるばかりか、本盤のラヴェル演奏史におけるレゾン・デートルは、思いのほか大きいものといえよう。
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ロジェストヴェンスキーが《スペインの時》と《子供と魔法》をソ連の聴衆に紹介してから、早くも半世紀以上の時が過ぎた。ロシアが世界の芸術動向から孤立していた状況も、遠い昔を物語るエピソードになろうとしている。外国のオペラを自国語で歌う習慣もすでに過去のものとなった。
だから、こうした翻訳オペラの「賞味期限」はとっくに切れてしまい、歴史的な役割と存在意義を完全に失ったものといえる。ロシア国内ですらCD覆刻がなされぬまま、これらの音源は忘却の淵に沈んでしまった。
そうなるのも必然の成り行きだと納得する一方で、かつて自国文化の自閉的な現状を憂うるあまり、涙ぐましいまでの労力を払って、ロシアにおけるラヴェルのオペラ受容に尽くした青年指揮者がいたことを、せめて自分ひとりは忘れずにいようと強く思う。