空は清々しく晴れて、朝の風は初夏そのものだ。知人のツイートで英国の指揮者ジェフリー・テイトの訃報を知らされる。旅先のベルガモの美術館で鑑賞中に発作で斃れたという。享年七十四。まだまだ現役で活躍できる歳だ。
BBC(
→これ)やFrance musique(
→これ)の追悼記事を読むにつけ、小生はこの指揮者について何も知らなかったことを痛感させられる。ショルティ、デイヴィス、ケンペ、クライバー、とりわけカラヤンとブーレーズの許で修業を積み、ブーレーズがバイロイトで《指環》四部作の新演出を指揮し、パリのオペラ座で《ルル》三幕完成版を初演した際、ともに副指揮者を務めたのだという。
1978年イェーテボリ歌劇場で《カルメン》を振ってデビュー、その後はコヴェントガーデンのロイヤル・オペラ、パリのオペラ座、メトロポリタン歌劇場やスカラ座のピットで数多くのオペラを指揮した。なかでもパリのオペラ座で彼が振った《指環》四部作、《ルル》、ストラヴィンスキーの《放蕩者のなりゆき》、ブリテンの《ビリー・バッド》はいまだに語り草なのだという。ジェフリー・テイトがオペラ畑でこれほど活躍したとは、今の今まで迂闊にも知らなかった。
極東の島国に暮らす私たちが手にする情報はごく限られている。ジェフリー・テイトといえばモーツァルト、イギリス室内管弦楽団を振った交響曲や、内田光子の協奏曲の伴奏指揮しか思い出せないのは、あまりにもいびつで偏った聴取体験なのだと今更のように思い知った。
そういえば、小生がただ一度だけジェフリー・テイトの謦咳に接したのもオペラ公演だった。1997年の10月、たまたま仕事でパリに一週間滞在した折り、オペラ・バスティーユでブレヒト=ワイルの《マハゴニー市の興亡》があると知って、ワイル好きの小生は万障繰り合わせて駆けつけた。そのときピットに姿を現したのがジェフリー・テイトだったのだ。
二十年前の《マハゴニー》の舞台をつぶさに思い出せるといったら嘘になるが、間近で目にした(当日券で求めた席は最前列の中央だった!)テイトの指揮ぶりは的確にして余裕たっぷり、このオペラを隅々まで完全に掌握しているのが視覚的にも明らかだった。徒らに騒ぎ立てることなく、背後からそっと忍びより、底なしの深淵を覗かせるような音楽だった。何度も背筋が凍りつき、肺腑を抉られるような思いがしたものだ。後にも先にも、あんなにも意味深い響きを醸す《マハゴニー》を聴いたためしがない。恐るべし、ジェフリー・テイト!
私たちがCDで聴けるジェフリー・テイトのオペラといえば《アラベッラ》と《ルル》、それにヘンツェ編曲版の《ウリッセの帰還》くらいだろうか。これだけでは実際の活躍を偲ぶにはあまりに不充分だろう。
突然の訃報に接した今、私たちは何をかけて彼を追悼すればいいのだろう。