ヴラディミール・ゴルシュマン Vladimir Golschmann(1893~1972)もまた、忘却の淵に沈みかけた20世紀の指揮者のひとりである。
その名が示すとおりロシア系(「ヴラジーミル・ゴルシマン」)だが、生まれも育ちもパリ。スコラ・カントルムに学び、早くから指揮に天分を発揮した。連続演奏会「コンセール・ゴルシュマン」を主宰、1920年代に「フランス六人組」を中心とする同時代音楽を数多く世界初演した。煩を厭わず主要作品を列挙しておこう。
■ ミヨー:《屋根の上の牡牛》(1920年2月21日、コメディ・デ・シャンゼリゼ)
■ オーリック:《アデュー、ニューヨーク》(同日)
■ サティ:《組み上げられた三つの小品》(同日)
■ オネゲル:《アグラヴェーヌとセリセット》前奏曲(1920年6月1日)☆
■ オネゲル:組曲《世界の戯れの物語》(1921年1月6日)☆
■ ミヨー: 五つの練習曲(1921年1月20日、ピアノ/マルセル・メイエル)☆
■ タンスマン:《印象》(1921年2月3日)☆
■ オネゲル:《夏の牧歌》(1921年2月17日)☆
■ ジャン・クラース:《子供の魂》(同日)☆
■ デュレー:《田園曲》(同日)☆
■ ミヨー:《ブラジルの郷愁》(1921年2月28日、ガラ・ロイ・フラー)
■ プーランク:《理解されざる憲兵》(1921年5月24日)
■ タンスマン:《交響的間奏曲》(1922年12月21日)☆
■ ケックラン: 二つの《ペルシアの時》(1923年2月1日)☆
■ デ・ファリャ:《ペドロ親方の人形芝居》(1923年6月25日、ポリニャック邸)
■ ミヨー:《世界の創造》(1923年10月25日、バレエ・シュエドワ)
■ コール・ポーター:《ウィズイン・ザ・クォタ》(同日、バレエ・シュエドワ)
■ タンスマン:《魔女の踊り》(1924年5月5日、ブリュッセル、モネー劇場)
■ ラザリュス:《葦》(1924年11月19日、バレエ・シュエドワ)
■ フェルー:《豚飼い》(同日、バレエ・シュエドワ)
■ ロラン₌マニュエル:《奇妙なトーナメント》(同日、バレエ・シュエドワ)
■ カセッラ:《甕》(同日、バレエ・シュエドワ)
■ オネゲル:《ソロモンの雅歌》(1926年6月16日)
■ アンタイル: 交響曲 ヘ調+《バレエ・メカニック》(1926年6月19日)☆
■ ヒンデミット: セレナード 作品35(1927年1月25日)
■ イベール: 歌劇《アンジェリック》(1927年1月28日)
■ ヴァレーズ:《オクタンドル》(1927年6月2日/パリ初演)
■ プーランク:《オーバード》(1929年6月19日、ノアイユ邸)
■ オーリック:《魔術師ファウスト》(同日、ノアイユ邸)
■ ミハロヴィチ:《地獄の神々の行列》(1930年10月19日、パリ交響楽団)
■ イベール: 嬉遊曲(1930年11月30日、パリ交響楽団)
■ タンスマン:《トリプティック》(1931年10月26日)
■ タンスマン: ピアノ小協奏曲(1932年11月、セントルイス、独奏/作曲者)
■ ジョーベール: 《フランス組曲》(1933年12月、同地)
■ タンスマン:《フレスコバルディの主題による変奏曲》(1937年12月、同地)
☆・・・「コンセール・ゴルシュマン」演奏会どうです、これはちょっと凄いラインナップでしょう。ミヨーの《屋根の上の牡牛》《ブラジルの郷愁》《世界の創造》、オネゲルの《夏の牧歌》、プーランクの《オーバード》、イベールの《嬉遊曲(ディヴェルティスマン)》、そしてアンタイルの《バレエ・メカニック》。両大戦間のパリで競い合うように花開いた、いずれ劣らぬ20世紀音楽の精華というべきだろう。ヴラディミール・ゴルシュマンは間違いなくこの時代の立役者だった。
自ら主宰した現代音楽の紹介の場「コンセール・ゴルシュマン」、それに1920年代パリを象徴するバレエ・シュエドワ(スウェーデン・バレエ団)を主たる舞台に、これだけの名作群を世に送り出した指揮者として、その名は音楽史に特別大書されてしかるべきだろう。
1931年に渡米し、セントルイス交響楽団の常任指揮者となってからも、同時代音楽の擁護者としての彼の姿勢は変わらなかった。とりわけタンスマンとの友好的関係は永く続き、第二次大戦を挟んで数十年に及んでいる(
→1932年、セントルイスで再会したゴルシュマン夫妻、プロコフィエフ、タンスマン)。
ただし、ゴルシュマンのパリ時代の面影を、彼が米国で世に問うたレコードに探ろうとすると、すげなく肩透かしを喰らわされるだろう。
交際が密で数多くの作品の初演に関わったタンスマンについても、ゴルシュマンが遺した録音は僅かに戦前のSPに刻んだ《
トリプティック》(セントルイス交響楽団、1935年)があるのみ。
パリ時代を偲ばせる同時代作品としては、戦時中にRCAに残したミヨーの《プロヴァンス組曲》(セントルイス交響楽団、1942年)、戦後ニューヨークで匿名楽団を指揮したミヨー《
屋根の上の牡牛》、ラヴェル《クープランの墓》、サティ《三つのジムノペディ》、オネゲル《
夏の牧歌》(以上、コンサート・アーツ管弦楽団、1953年
→これ)がある程度。ほかにパリ時代のプロコフィエフのバレエ《道化師》組曲(セントルイス交響楽団、1953年
→これ)があるものの、どれもがモノーラル収録ということもあり、今ではほとんど顧みられる機会がない。
今日ヴラディミール・ゴルシュマンの名は、多くの人々にとってグレン・グールドのベートーヴェンやバッハの協奏曲の伴奏指揮で接するだけの存在となり果てている。グールドがこの老匠の手腕を高く評価し、NYCでのレコーディングばかりか、わざわざトロントに招いて放送局スタジオのTV収録でまで共演(
→バッハの映像、
→シュトラウスの映像)したのは何故なのか。それはゴルシュマンの栄光ある過去とどう繋がっているのか、深く考察した者は果たしているのだろうか。
つい最近のこと、きわめて興味深い放送録音が不意に日の目を見た。ゴルシュマンが1956年と61年にフランスへ里帰りして催した演奏会の実況録音である。
"Haydn - Schubert - Ravel - Chostakovitch -- Vladimir Golschmann"
ハイドン:
交響曲 第八十八番*
シューベルト:
交響曲 第八番**
ラヴェル:
高雅で感傷的な円舞曲**
ショスタコーヴィチ:
交響曲 第一番**
ヴラディミール・ゴルシュマン指揮
フランス放送国立管弦楽団*
フランス放送フィルハーモニー管弦楽団**1961年9月19日、モントルー音楽祭(実況)*
1956年5月31日、パリ(実況)**
Forgotten Records fr 1235 (CD-R, 2016)
→アルバム・カヴァー戦後ゴルシュマンは1947年以降かなり頻繁にパリを訪れていたらしいが、委細は詳らかでない。ただし同地での公式な録音は1958年にラムルー管弦楽団を振った《ボレロ》《亡き王女のためのパヴァーヌ》《マ・メール・ロワ》《道化師の朝の歌》からなる「ラヴェル・アルバム」唯一枚(仏Philips)。だから今回の実況録音の発掘は値千金なのである。
シューベルト~ラヴェル~ショスタコーヴィチは同じ演奏会から採録されており、これで恐らく一夜分か。彼のプログラム構成の一端が知られる選曲だ。冒頭のハイドンは彼がモントルー音楽祭で指揮した演目で、このあとアルトゥール・ルービンシュタインの独奏が加わり、ベートーヴェンの「四番」とブラームスの「一番」とピアノ協奏曲が二つ続いた由。
そういう次第だからか、ハイドンの「八十八番」はさらりと軽く流した趣。すっきり爽快ではあるが、些か手応えに欠けるのは一夜のプログラムの序奏という扱いからだろう。
続くシューベルト~ラヴェル~ショスタコーヴィチは遙かに充実した演奏だ。余韻嫋々たる《未完成》も悪くないが、《高雅で感傷的な円舞曲》が水際立った出来映えだ。ニュアンス豊かな木管楽器の響きはいにしえのパリならではの美質。無理なく感興たっぷりにラヴェルを醸成する手腕はさすがであり、両大戦間のフランス音楽を知り尽くした指揮者ならではの至芸といえよう。
最後のショスタコーヴィチの「第一」は、同じ作曲家の「第五」とともにゴルシュマンが自家薬籠中とした十八番であり、手兵のセントルイス交響楽団との正規録音も存在する(米Columbia, 1956年)。それと聴き較べたわけではないが、こちらの実況録音はより一層しなやかで生気に満ちた演奏に聴こえる。パリの放送オーケストラも予想以上に健闘している。
少し調べてみると、ゴルシュマンのフランスでの実況録音は他にもアーカイヴにいろいろ残されているらしい。上述のルービンシュタインとの協奏曲二曲も現存するし、1965年にフランス放送管弦楽団を振ったプロコフィエフの《ロミオとジュリエット》第二組曲や、ルドルフ・フィルクシュニー独奏によるマルチヌーの第三ピアノ協奏曲はいずれも秀演だといい、しかもステレオ収録されているらしい。50~60年代にはニューヨーク・フィルとも頻繁に共演しているので、それらの放送局音源が日の目をみるのも期待できよう。
埋もれた放送録音の発掘に熱心な Forgotten Records がいずれこれらをCD化してくれる日を待ちたい。ゴルシュマン再評価がなされるのはそれからだろう。
追記)
そういえば昨秋、架蔵するゴルシュマン音源について書いた拙記事があったので、リンク先を記しておく。ご参考まで。
→ゴルシュマンを甦らせるために