ニコライ・マルコ(正しくはマリコ、もしくはマリコー)Николай Андреевич Малько(1883~1961)は、ペテルブルグでリムスキー₌コルサコフとグラズノーフに師事し、ミュンヘンではフェリックス・モットルに指揮法を学んだ。革命後はヴィテプスク、モスクワを経てレニングラード音楽院で教鞭を執り、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団の常任指揮者としてショスタコーヴィチの第一および第二交響曲を世界初演した。
ショスタコーヴィチがマルコの勧めでブロードウェイのヒット曲《二人でお茶を》を《タヒチ・トロット》として管弦楽に編曲した逸話は遍く知られていよう(その真相については以下の拙稿を参照。
→「タヒチ・トロット」でお茶にしよう、
→君が本当に天才ならば、
→賭けはあったのか、なかったのか、
→自筆譜に垣間見える真実)。
その前半生の赫々たるキャリアに較べ、1929年にソ連を亡命してからのマルコの指揮者人生は些かパッとしない。
永く常任を務めたデンマーク放送交響楽団も、米国のグランド・ラピッズ交響楽団も、英国のヨークシャー交響楽団も、最晩年に就任したシドニー交響楽団も、彼が実力を思う存分に披歴するにはあまりに弱体な受け皿だったというほかない。僅かにSP末期~ステレオ最初期にロンドンのフィルハーモニア管弦楽団と遺した一連のレコーディングが彼の芸風を後世に伝えている。
ところが近年になって、これまで存在すら知られなかったマルコ指揮の放送録音があちこちのマイナー・レーベルから陸続と出現し、第二次大戦後の彼の旺盛な仕事ぶりの一端が少しずつ明かされてきた。ロシアの指揮者の系譜を辿る者にとって、またとない朗報である。
"Stravinsky -- Ida Haendel, Nicolaï Malko"
ストラヴィンスキー:
《火の鳥》組曲(1919年版)
ヴァイオリン協奏曲*
詩篇交響曲**
ヴァイオリン/イダ・ヘンデル*
ニコライ・マルコ指揮
デンマーク放送交響楽団
デンマーク放送合唱団**1959年1月29日、コペンハーゲン(実況)
Forgotten Records fr 1230 (CD-R, 2016)
→アルバム・カヴァーマルコとストラヴィンスキーとは同世代(ストラヴィンスキーが一歳年長)であり、ともにリムスキー=コルサコフ門下だったから、キャリア最初期から互いに意識しあう間柄だったと察しられるが、マルコの自叙伝 "A Certain Art"(歿後の1966年刊)には何故かストラヴィンスキーの名はほんの少ししか出てこない。
だからといって両者が疎遠だったわけではない。ディアギレフの推挽で早くに西側で成功したストラヴィンスキーの音楽は故国でも注目されていた。
小生の知り得た限りでも、マルコは1918年4月21日、ペトログラードでの演奏会でストラヴィンスキーの《火の鳥》組曲(おそらく1911年版)を採り上げている(プロコフィエフが自作《古典交響曲》を自ら振って世界初演したのと同じ機会である。
→当日のプログラム)。
マルコが遺したストラヴィンスキーの正規録音は、《組曲 第二番》(デンマーク放送交響楽団、1947
→これ)しか存在しないが、1930年代にコペンハーゲンで両者が共演した《カプリッチョ》の断片(第三楽章、1934)や、《ペトルーシュカ》抜粋(1933)などのエアチェック音源が残存するほか、最晩年の1959年12月にマルコが来日して東京交響楽団を指揮した際にも、東京と大阪で《春の祭典》を指揮している(録音は残存せず)。生涯にわたって、マルコは同世代の並走者として、生涯にわたりストラヴィンスキー作品を指揮し続けたことがわかる。
本CDではこれまで聴けなかったマルコのストラヴィンスキー、それも晩年に催された一夜の「オール・ストラヴィンスキー・プログラム」をまるごと(だと思う)愉しめる。こんな実況録音が残されていたとは知らなんだし、モノーラルながら明瞭な音質であるのがなにより嬉しい。
マルコの解釈は今日の耳には随分とまろやかで、鋭角的な響きは背後に退き、長閑で懐かしい音楽に感じられる。19世紀からの系譜に連なるロシア音楽の継承者としてのストラヴィンスキーが彷彿とする。とりわけ《火の鳥》にその感が強い。
続く二作は更に興味深い。ともに両者が国外で時代を共有した1930年前後、ストラヴィンスキーの新古典主義時代のヴァイオリン協奏曲と《詩篇交響曲》である。マルコには1950年1月に同じコペンハーゲンの楽団を指揮した《詩篇》の実況録音(加St Laurent Studio)があったが、あちらは三楽章のみ。全曲が聴けるのは初めてだ。ヴァイオリン協奏曲もマルコ初レパートリーだが、独奏者イダ・ヘンデルにとっても本演奏が唯一の録音。類い稀な歴史的価値を有する音源なのだ。
協奏曲ではリハーサル不足からか、なかなか独奏者と呼吸が合わずに苦労した様子だが、最後の《詩篇交響曲》では一貫して安定した演奏ぶり。クールな新古典主義よりも共感に満ちた親密さのほうが勝ったユニークな演奏。最晩年のモントゥーがロンドン交響楽団と、これに近しい解釈をしていたように記憶する。
この調子でニコライ・マルコの知られざる実況音源がもっと世に出るのを期待する。《ペトルーシュカ》《春の祭典》、あるいは《妖精の接吻》などもぜひ聴いてみたいものだ。