不勉強な小生はエイドリアン・ボールト卿がその永い生涯でエルガーの交響曲の録音に何度挑んだのか、正確な知識を持ち合せていない。
第一交響曲に関していえば1949年のSP(EMI)、1968年のLP(Lyrita)、1976年のLP再録(EMI)、この三回が正規なスタジオ録音だろう。それぞれボールト翁が六十、七十九、八十七歳の年の収録だ。思いのほか少ない印象である。
彼が矍鑠と長生きしてくれたからいいものの、さもなくば最初のSP盤しか後世に残されなかったかもしれない。その赫々たる実力と業績に比して、いかに彼がレコーディングの面では不遇な指揮者だったかが、この一事からも知れるだろう。
こうした事情を知るにつけ、BBCのアーカイヴに残されたこの放送録音の貴重さが身に染みてくる。21世紀に入って間もなく、雑誌の付録という形で世に出た。
"Elgar: Symphony N0. 1 -- BBC Symphony Orchestra - Adrian Boult"
エルガー:
交響曲 第一番*
《南国にて(アレッシオ)》**
エイドリアン・ボールト卿指揮*
レナード・スラットキン指揮**
BBC交響楽団1976年7月28日*、2002年7月23日**、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホール(BBCプロムズ実況)
BBC Music MM269 (2006)
→アルバム・カヴァー1976年4月8日、恙無く八十七歳の誕生日を迎えたエイドリアン卿は、フランスのポール・パレーに次ぐ現役最長老の指揮者として、この年の夏もBBC交響楽団を率いて英京「プロムズ」の指揮台に立った。しかも登場は三夜に及んだ。
7月28日 Prom 12
ブリテン: カナダの謝肉祭
バーバ―: ヴァイオリン協奏曲 (独奏/ラルフ・ホームズ)
エルガー: 交響曲 第一番
8月6日 Prom 21
ヤナーチェク: グラゴル・ミサ
ベートーヴェン: 交響曲 第六番
8月17日 Prom 32
ベルク: 室内協奏曲 (独奏/ジェルジ・パウク、ポール・クロスリー)
ワーグナー: ジークフリート牧歌
ブラームス: 交響曲 第一番
ただし老齢に過大な負担は禁物なので、翁自身が振ったのは三日とも後半の交響曲一曲のみ。残りはそれぞれエドワード・ダウンズ、チャールズ・マッケラス、ジョン・カリューが分担指揮するという変則的な演奏会となった。
ビーチャム、サージェント、バルビローリは世を去って久しく、生前のエルガー、ホルスト、ヴォーン・ウィリアムズをつぶさに知る英人指揮者といえばボールト唯一人。19世紀以来の英国音楽の正統的な体現者として、彼の名声はいよいよ頂点に達し、倫敦音楽界の崇敬を一身に集めていた。あまりに遅すぎたとはいえ、正当な栄光が遂にエイドリアン卿の許に訪れたのである。
ボールトは同世代の指揮者のなかで、実演と録音セッションの出来に差が尠かったという話だが、それでもこのエルガーは別格の出来映えである。八十七という年齢からして、指揮者も楽団もこれが最後の機会になるかもしれない覚悟があったのだろう、最初から最後まで一瞬の弛緩もない、渾身の力を籠めた演奏だが、それでいて融通無碍な境地を感じさせる。蓋し名人の技か。
ボールトにはかつて手塩にかけて育てたBBC交響楽団の上層部と仲違いし、石もて追われた苦い経験があった(その直後、彼はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団と契約する)。だが、それも四半世紀前の昔話となった。すべては恩讐の彼方、今やオーケストラは全身全霊で老指揮者のために尽くしている。その一部始終が本CDにはつぶさに記録されているのだ。
あらゆる細部を知り尽くした者ならではの自信に裏打ちされ、それでいて感興に満ち溢れたエルガー。緩徐楽章の底知れない深さにも圧倒されるが、頂上を目指して登攀するかのような終楽章の紆余曲折が素晴らしく感動的だ。長きにわたるエイドリアン卿の生涯の総決算がここにある。
会場のロイヤル・アルバート・ホールを埋め尽くす数千人の聴衆からは殆どしわぶきひとつ聴こえない。誰もが固唾をのんで巨匠の至芸に聴き惚れているのだ。それでいて、エンディングと共に、間髪を入れずホール全体が熱烈な喝采で沸き立つ。まさに演奏会の鑑ではないか。
月刊誌 "BBC Music" の付録CDだったため、永らく入手が容易でなかったが、近年この音源が遂に正規発売された(
→これ)。一聴を強くお薦めする。