二月に入って春の気配が肌でわかる。目に見えて日が長くなり、昼の陽射しは暖かい。早咲きの河津桜はもう二分咲きになった。ただし吹く風は時に刺すように冷たく、関西では大雪が降ったそうな。もう少しの辛抱だ。
こういう季節だからというわけではないけれど、珍しくシューマンを聴こうという気になった。つい最近たまたま手に入れた往古の交響曲全集が思いがけず良くて、繰り返し親しんでいる。
"Schumann: Symphonies -- Sir Adrian Boult"
シューマン:
交響曲 第一番《春》
交響曲 第二番
交響曲 第三番《ライン》
交響曲 第四番
エイドリアン・ボールト卿指揮
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団1956年8月21~24日、ロンドン、ウォルサムストウ・アセンブリー・ホール
Precision Nixa NIXCD 1005 (2CDs, 1989)
→アルバム・カヴァー若き日にライプツィヒ留学を果たし、アルトゥール・ニキッシュに私淑した原体験のあるエイドリアン・ボールトは、同時代の英国音楽の熱心な擁護者であるばかりか、ドイツ古典音楽の正統的な解釈者としての貌をもつ。
ただし、この分野では録音の機会に恵まれていたとはいい難く、シューマンの交響曲もこの1956年のスタジオ録音が生涯で唯一。新興レーベル「ニクサ」が米国の「ウェストミンスター」と組んで、最新のステレオ収録を敢行したことも、この録音の存在意義を弥が上にも高めている。
とはいえ、四日間でシューマンの交響曲を四曲すべて仕上げ、その前後に英国の交響曲の大作を二曲(エルガーの《第二》とウォルトンの《第一》)、エルガーの《フォールスタッフ》と《コケイン》序曲、ブリテンの《四つの海の間奏曲》《青少年のための管弦楽入門》《マティネ・ミュジカル》《ソワレ・ミュジカル》、さらにベルリオーズの八つの序曲を収録する半月間の日程は、明らかにハード・スケジュール、六十代後半でなお意気軒昂だったエイドリアン卿にとっても、当時の手兵だったロンドン・フィルにとっても、これは相当な強行軍だったに違いない。
ところが収録されたシューマンには彫琢不足や未消化な箇所は全くない。むしろ一気呵成に核心に迫る率直な演奏であることに驚かされる。時間的な制約が却って奏功したのか、それとも完全に自家薬籠中のレパートリーだったのか。
テンポは総じて速く、とりわけ《ライン》交響曲の快速ぶりは唖然とするほどだ。だが拙速の印象は微塵もなく、淀みなく感興に富んだシューマンがいとも自然に、瑞々しく現出する。これはちょっと珍しいことではないか。
しばしば付き纏うシューマン特有の蟠った停滞感やオーケストレーションの淀んだ混濁は感じられない。あくまで清澄なロマンティシズム。世評の高いクレンペラーよりも余程よい演奏ではないか。端倪すべからざるエイドリアン卿!
惜しむらくは用いられたテープの劣化に起因するのだろう、音の状態が寝ぼけ気味で、ステレオにしては分離が悪いことだ。ウェストミンスターの技術陣が腕を振ったオリジナルはもっと鮮明な録音だった筈。以前わが国で出たLPや初期CD(ともにパイ=ニクサ原盤によるテイチク盤)はどうだったのか。
仄聞するところに拠れば、数年前に英国の First Hand Records という自主レーベルから、エイドリアン卿の1956年ニクサ=ウェストミンスター全録音を、現存する原テープに遡って丁寧にリマスターした覆刻CDsが出ている由。これを是非とも聴いてみねばなるまい。無条件で大絶賛するのはそのときだ。