今朝は暗いうちから目覚めて、ネット経由のコンサート実況を今か今かと待ち受けた。ストラヴィンスキーの《葬送の歌
Погребальная песня / Funeral Song》が百七年ぶりに蘇演される。師匠リムスキー=コルサコフの追悼演奏会で世界初演されたきり、一度も再演されぬままロシア革命の混乱で失われたとされた二十六歳の若書きである。その楽譜が昨年サンクト・ペテルブルグ音楽院で見つかった。これを聴かずにいられようか。
2016年12月2日 21時30分~ (日本時間 12月3日 3時30分~)
サンクト・ペテルブルグ、マリインスキー劇場コンサート・ホール
■
リムスキー=コルサコフ:
組曲《見えざる町キーテジと聖女フェヴローニヤの物語》
ストラヴィンスキー:
葬送の歌
バレエ音楽《火の鳥》
■
ワレリー・ゲルギエフ指揮
マリインスキー劇場管弦楽団
・・・とここまで書いたところで風邪でダウン。数日間ずっと横臥を余儀なくされた。先月は外出が続き、おまけに「寒さ知らず」と豪語して薄着で出歩いた報いであろう。今やっと起き出したところ。記事の続きを手短に綴ろう(12月5日)。
リムスキー=コルサコフ逝去に際し、愛弟子のストラヴィンスキーが葬送音楽を作曲したものの、ロシア革命期の混乱で楽譜が失われてしまった...という逸話を知ったのは、1968年に出た井上和男の評伝『ボロディン/リムスキー=コルサコフ』(音楽之友社)の記述からだったのではないか。いずれにせよ古い話である。爾来ずっと気にかかっていた。喉に刺さった小骨のようなものだ。
ストラヴィンスキー自身も、後年の回想で「それがどんな音楽だったか、もう思い出せないが、《火の鳥》を作曲する直前、自分がいかなる曲を書いたのか、知りたい気持ちだ」と述懐していたものだ。誰もが聴いてみたくなる、見果てぬ夢のような音楽。それがこの若書きの葬送曲だった。
その幻の楽譜がサンクト・ペテルブルグ音楽院の図書館で見つかったという第一報に接したとき、小生は昂奮を抑えることができず、発見に至る経緯をここで逸早くお伝えした(
→また見つかった「永遠」──ストラヴィンスキーの「葬送の歌」)。日本語で読める最初の記事だったかもしれない。一年前のことである。
一世紀以上も前にペテルブルグで初演されたまま、リムスキー=コルサコフゆかりの音楽院の一隅に人知れず眠り続けた楽譜(ロシア革命も血の粛清もレニングラード包囲戦も社会主義の瓦解も見届けながら・・・)だから、その蘇演がワレリー・ゲルギエフとその手兵マリインスキー劇場管弦楽団の手でなされるのは当然至極だし、大方の予想していたところだろう。
賢明なゲルギエフはこの記念すべき演奏会のため、熟慮の末に理想的プログラムを組んだ。すなわち、コルサコフが心血を注いだ民族主義の歌劇から編まれた組曲と、恩師に捧げる追悼音楽、そしてその直後ストラヴィンスキーが世界に躍り出たバレエ音楽。この三曲を超える曲目編成はちょっと考えられないだろう。
予定された開始時間を大幅に過ぎて(さすがロシアだ)、まず昨年《葬送の歌》楽譜を発掘した音楽学者ナタリヤ・ブラギンスカヤ女史が舞台に登場し、発見に至る経緯と、この作品のもつ音楽史的な意義について、委曲を尽くして語った。ロシア語のレクチャーなので怖気づいたが大丈夫、隣の女性が英語で逐語通訳してくれる。内容はスティーヴン・ウォルシュが予め伝えてくれた予備知識(上記リンクを参照)とほとんど変わらない。
ここまでで十七分ほどが経過。ゲルギエフが登場したのは(日本時間で)四時を大きく回っていた。
1907年にここマリインスキー歌劇場で世界初演されたリムスキー=コルサコフ最晩年のオペラ(の組曲)がまず奏され、その余韻が消えぬまま、翌08年に急逝した恩師を悼むストラヴィンスキーの《葬送の歌》が披露される。そのあと休憩なしに1910年初演のバレエ《火の鳥》全曲へと続く。あたかも三つの作品が分ちがたく密接しているかの如き盤石のプログラムだ。
これは単に時系列を辿ったというに留まらず、師弟の音楽が示す新旧世代の鮮やかな対比、リムスキー=コルサコフの土臭い国民音楽とストラヴィンスキーの洗練されたコスモポリタニズムとが、新発見の《葬送の歌》というミッシング・リンクを嵌め込まれることで、地続きに連繋される目覚ましい驚きがここにある。どんなロシア音楽史の講義も、この楽曲そのものによる雄弁な論証には及ぶまい。
《葬送の歌》は曲の意図からして粛然たる気分に覆われた単調な行進曲ではないのかとも予想したのだが、あに図らんや、秘めやかな瞑想から激しい慟哭まで、さまざまに変化を孕んだ交響詩さながらの充実した音楽だった。恩師の影響とともに、随所にワーグナーからの感化を偲ばせるところも、最初期のストラヴィンスキーの志向を探るうえで興趣が尽きない。
最初の神秘的な弦楽器のさざめきは、すでに次の作品である《火の鳥》の冒頭場面を予感させる。ほどなく天駆ける彼のモダニズムは早くも《葬送の歌》に胚胎している、そんな思いを強く抱いた。この記念すべき蘇演にリアルタイムで立ち会えたのは実にスリリングで喜ばしい。わが人生で幾度もないような貴重な機会だった。
この《葬送の歌》を含む一夜の演奏会は、その一部始終を当分の間、ネット上でつぶさに視聴できる(
→ここ)。いずれCDやDVDの形で世に出るに違いないが、上述したような理由から、ぜひともその全体を通して鑑賞されることを強くお薦めする。こんな体験、滅多にないですよ。
追記)
ナタリヤ・ブラギンスカヤ女史が楽譜発見までの経緯と、この作品の歴史的価値をわかりやすく解説した映像がYouTubeにある(
→これ)。語りはロシア語だが英語字幕が付く。これをまずご覧になるのがいいかもしれない。