前投稿から一か月以上も間が空いてしまったが、とうに消滅した英国の群小クラシカル・レーベルを思い起こすシリーズを再開しよう。「ユニコーン=カンチャナ」「ASV」「ニンバス」「コニファー」「コリンズ」「ビューラ」「BBCラジオ・クラシックス」「BBCレジェンズ」に続き、今回はその第十一回目。採り上げるのは「レヴェレーション」なる泡沫レーベルだ(
→レーベルのロゴ)。
Revelation =「天啓」とはなんとも大仰な命名である。"The Classical Russia" と副題されるように、これはロシア音楽に特化した専門レーベル。1990年代の後半、英国のポピュラー系の「テルスター(Telstar)」レーベルがモスクワの放送局「オスタンキノ(Останкино)」と契約し、ここが保有するクラシカル音源をまとめて買いつけた。96年から98年にかけて、旧ソ連の高名な演奏家たちの放送録音がどっと百枚以上も世に出た。ロシア音楽愛好家にとって、これはまさしく天からの啓示といえそうな嬉しい驚きだった。
とはいうものの、同レーベルは著作権・同隣接権をきちんとクリアしなかったらしく、権利保有者たる演奏家に無断での発売を咎められ(ロストロポーヴィチから訴えられたと噂される)、ほんの数年で発売停止に追い込まれ、CDは全点廃盤の憂き目を見た。とはいえ、今でも中古店で目にする機会が少なくない。
「レヴェレーション」の音源には問題が多い。旧ソ連の録音技術を反映し、音質は当時の世界的水準をかなり下回る(1970年代もモノーラル収録が普通だった)。演奏内容も吟味された名演揃いとは云いがたく、玉石混淆と称すべきか。おまけに録音データ(演奏収録日など)は他の文献と食い違い、しばしば信頼がおけない。オスタンキノ放送音源と謳いながら、国営レーベル「メロジヤ(Мелодия)」(わが国では「新世界レコード」)から出た正規録音と同一のものも少なくない。ソ連崩壊後の社会状況をそのまま反映したような混乱ぶりだ。
小生はさして熱心に集めてこなかったが、それでも手元には二十点ほどのCDがある。そのなかから特に貴重な音源を五点、選りすぐって以下に紹介しよう。
"Richter Plays Prokofiev - The War Sonatas"
プロコフィエフ:
ピアノ・ソナタ 第六番*
ピアノ・ソナタ 第七番**
ピアノ・ソナタ 第八番***
ピアノ/スヴャトスラフ・リヒテル1966年5月2日*、1970年5月10日**、1961年4月17日***、
モスクワ(?)
Revelation RV 10094 (1997)
→アルバム・カヴァー公式・非公式ともに新旧さまざまな録音が乱立しているリヒテルのプロコフィエフだが、いわゆる「戦争ソナタ」三作が揃ってきけるのは未だに本盤だけ。しかも三つとも他では聴けない未発表の録音(したがって収録日の信憑性は不確かだが)なので価値がきわめて高い。いずれもリヒテルならではの異様に集中度の高い演奏に呪縛されること必定だ。「第六」「第七」はおそらくスタジオ収録、実況録音は「第八」のみか。いずれもモノーラルながら録音はまずまず明瞭で鑑賞に堪える。
"Menuhin in Moscow - Beethoven - Bach"
ベートーヴェン:
ヴァイオリン協奏曲*
バッハ:
シャコンヌ ~無伴奏パルティータ 第二番 ニ短調**
二挺のヴァイオリンのための協奏曲***
ヴァイオリン/イェフディ・メニューイン
ヴァイオリン/ダヴィド・オイストラフ***
アレクサンドル・オルローフ指揮* ***
大管弦楽団 (◆おそらくモスクワ放送交響楽団)1946年*、1945年11月17日**、1946年***、モスクワ1945年11月、モスクワ音楽院(実況)* ** ***
Revelation RV 10066 (1996)
→アルバム・カヴァー第二次大戦中、メニューインは連合国側および赤十字のため前線各地で慰問演奏に励んだが、終戦後には焼野原のドイツ各地で演奏を開始、ベンジャミン・ブリテンを伴って解放後のベルゲン・
ベルゼン強制収容所も訪れた。1945年11月には戦後初の外国人奏者としてモスクワを訪れ、連続演奏会を敢行している。その実況録音が遺されたのは、当時のソ連では異例中の異例といえようが、とりわけオイストラフと共演したバッハ、現存最古のベートーヴェンの協奏曲は貴重な遺産である。メニューインと意気投合したオイストラフは、46年に初演したプロコフィエフの第一ヴァイオリン・ソナタの楽譜を彼のもとに送り、メニューインによる西側での初録音(1948年)が実現する。メニューインの果敢な行動が国境を越えた音楽的交流を可能にしたのだ。本CDで録音年度が1945年、46年とバラついているのは明らかに誤りで、三曲はどれも同じ1945年11月の訪ソ時モスクワ音楽院で収録された。
"Rostropovich Plays Prokofiev"
プロコフィエフ:
チェロ交響=協奏曲 ホ短調 作品125*
チェロ小協奏曲 ト短調 作品132 (カバレフスキー補筆)**
チェロ・ソナタ ハ長調 作品119***
チェロ/ムスチスラフ・ロストロポーヴィチ
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮
ソヴィエト国立交響楽団* **
◆実際は以下の指揮者と楽団との共演
クルト・ザンデルリング指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団*
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮 モスクワ放送交響楽団**
ピアノ/スヴャトスラフ・リヒテル***
1964年2月25日*、1960年11月30日**、1951年12月16日***、モスクワ
◆実際は1957年、レニングラード(セッション録音)*、1964年5月13日、モスクワ音楽院大ホール(実況)**
Revelation RV 10102 (1998) →アルバム・カヴァー
晩年のプロコフィエフが若きロストロポーヴィチのため作曲し、彼に献呈し、初演された三つのチェロ作品をまとめた重宝な一枚なのだが、さすが「レヴェレーション」、出自も演奏日も、伴奏指揮者や楽団までも不確かな音源ばかりだ。独奏がロストロポーヴィチなのは間違いないが、それ以外の情報はすべて疑わしい。以前この種のロストロポーヴィチ非正規録音を聴き較べたHayes氏の検証(→これ)に拠れば、《交響=協奏曲》は昔から名高いザンデルリング指揮レニングラード・フィルの正規盤(Мелодия)と同一であり、《コンチェルティーノ》も日付と楽団名が間違っていて、EMIやBrilliantから出た音源と同じものだという。となると、残る《ソナタ》も「1951年収録」の信憑性が怪しまれるのだが、世に広く知られる世界初演時の実況録音(1950年3月収録)とは細部が微妙に異なる。1951年12月16日、モスクワ音楽院小ホールでプロコフィエフに捧げる演奏会が確かに催されており、リヒテルが出演して《ヘブライ主題による序曲》室内楽版、ピアノ・ソナタ第九番ほかが演奏されている(録音も現存)ので、ロストロポーヴィチ&リヒテルによるチェロ・ソナタも、同じこの機会に収録された新発見の音源かもしれない。
"Rostropovich Performs Shostakovich"
ショスタコーヴィチ:
交響曲 第十四番*
アレクサンドル・ブロークの詩による七つのロマンス**
ソプラノ/ガリーナ・ヴィシネフスカヤ
バス/マルク・レシェチン*
ムスチスラフ・ロストロポーヴィチ指揮
モスクワ室内管弦楽団*
ヴァイオリン/ダヴィド・オイストラフ**
チェロ/ムスチスラフ・ロストロポーヴィチ**
ピアノ/モイセイ・ワインベルグ**
1973年2月12日、モスクワ音楽院大ホール(実況)*
1967年10月27日 [実際は23日か]、モスクワ音楽院小ホール(世界初演実況)**
Revelation RV 10101 (1998) →アルバム・カヴァー
ショスタコーヴィチ「第十四」初演時のソプラノ歌手起用をめぐり一悶着あったのは知る人ぞ知る話。試演を見事に歌ったマルガリータ・ミロシニコーワと、ソ連随一の名歌手で作曲家とも親しいガリーナ・ヴィシネフスカヤの間で先陣争いが起こった。そこで初演指揮者ルドルフ・バルシャイはレニングラード初演(世界初演)をミロシニコーワ&ヴラジーミロフに、モスクワ初演をヴィシネフスカヤ&レシェチンに歌わせて、大岡裁きよろしく両者の面目を保った。ところが初演の翌1970年の世界初録音(Мелодия)でバルシャイが前者を起用したことから争いは再燃した。1973年、ヴィシネフスカヤは夫ロストロポーヴィチの指揮のもと「第十四」をモスクワで歌い、メロジヤ社でスタジオ録音まで敢行し、バルシャイ(およびソ連当局)に一矢報いたのだ(→日本盤LP)。本CDに収録されたのは、そのセッションと相前後してモスクワで行われた演奏会の実況録音。これが世界初出である。モノーラル収録ながら、背筋の凍るような緊迫感で貫かれた演奏。後半のブローク詩による「七つのロマンス」は世界初演の貴重な音源である(こちらも世界初出)。演奏者の顔ぶれの豪華さにも目を奪われるが、ヴィシネフスカヤの絶唱も凄絶このうえない(これと相前後してBMG-Мелодияから正規盤が発売された)。
"Rozhdestvensky - Stravinsky: Le Baiser de la fée - Apollo"
ストラヴィンスキー:
妖精の口づけ*
ミューズを率いるアポロ**
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮
モスクワ放送交響楽団
1960年11月14日 [◆実際は1978年か]*、1961年1月6日**、モスクワ
Revelation RV 10052 (1997) →アルバム・カヴァー
これまた素性が確かでない音源だ。ロジェストヴェンスキーは1962年秋のストラヴィンスキー最初で最後のソ連訪問の際、間近に老作曲家の謦咳に接し(そのときの写真は →これ、→これ)、ようやく解禁された彼の音楽の普及に努めた。これら二曲はその証拠となる水際だった秀演だが、その出自が明らかでなく、演奏データの当否も不確かなまま。どちらもセッション収録らしく、会場のノイズなど皆無。《アポロ》は年代相応のモノーラルだが、《妖精の口づけ》は鮮明なステレオ収録であり、察するにこれは1978年にМелодияから発売された正規録音(→そのLP)と同音源ではないか。ことほど左様に「レヴェレーション」は厄介なレーベルだ。