何度か話題にしたが、クラシカル音楽に目覚めた高校生にとって、1970年は特別な年だった。1月のマルタ・アルヘリッチ初来日を皮切りに、春から秋にかけて大阪万博がらみで綺羅星のごとき外来演奏家が大挙して訪日した。これほど華やかな饗宴はそれまで目にしたことがなかった。
貧書生がどうにか生で聴けたのは
デュトワ指揮による「スイスの夕べ」(4月21日)、
プレートル指揮パリ管弦楽団(4月25日)、
カラヤン指揮ベルリン・フィル(5月21日、22日)だけだったが、TVとラヂオでマゼル指揮ベルリン・ドイツ・オペラ、セル&クリーヴランド管弦楽団、パイヤール室内管弦楽団、ファザーノ指揮ローマ室内歌劇団、デッカー指揮モントリオール交響楽団、アルヴィド・ヤンソンス指揮レニングラード・フィル、プリッチャード指揮ニュー・フィルハーモニア、ボリショイ歌劇場の《エヴゲニー・オネーギン》(ロストロポーヴィチ指揮)、《ボリス・ゴドゥノフ》と《イーゴリ公》(シモノフ指揮)、リヒテル初来日、レッパード指揮イギリス室内管弦楽団の公演を親しく視聴した。
ほかに放映はなかったものの、バーンスタイン指揮NYフィルも来日したし、万博の枠外ではソプラノのシュヴァルツコップフ、ロヴィツキ指揮ワルシャワ・フィル、ザッハー指揮チューリヒ・コレギウム・ムジクム(武満徹《ユーカリプス》世界初演)も来日した(TVで観た)のだから、これはもう掛け値なしに空前にして絶後、手の舞い、足の踏むところを知らない大わらわの一年だった。
4月から高校三年になった小生は、受験勉強そっちのけでクラシカル音楽に惑溺し、無我夢中で没頭した。その一部始終は小さな八冊の手控帖にこまごまと記されて、今日もわが手許にある。
この年の後半に入手したLPレコードを購入順に列記しておこう。通算十六枚目から二十六枚目である。
1970年7月8日
《ミュンシュ/フランスの山人の歌による交響曲》
日本ビクター RCA SRA-2690 (1970) ¥2,000
→アルバム・カヴァー
*再発売の新譜。併録はショーソンの交響曲。ミュンシュはずっと至高の存在だ。
1970年7月12日
《ミュンシュ=フランス音楽のエスプリ=2/ルーセル》
日本コロムビア エラート OS-2074-RE ¥2,000
→アルバム・カヴァー
*ミュンシュ/ラムルーによる唯一無二のルーセル「第三」&「第四」。
1970年7月24日
《デリアス/管弦楽作品集》
東芝 エンジェル AA-8533 (1969) ¥2,000→アルバム・カヴァー*初めてのディーリアス。日本で出ていたのは当時このビーチャム盤のみ。
1970年8月4日
《ミュンシュの芸術 第17巻/ダフニスとクロエ》
日本ビクター RCA SRA-2567 (1970) ¥2,000→アルバム・カヴァー
*ミュンシュ/ボストンによる極め付きの《ダフニス》。
1970年8月24日
"Martha Argerich - Prokofieff & Ravel"
Deutsche Grammophon 139 349 (1967) 価格不明
→アルバム・カヴァー*生まれて初めて手にした輸入盤。神保町の「ミューズ社」にて。
1970年10月28日
《アンセルメの芸術 第2期 ロシア編 1 第3巻/ボロディン》
キング ロンドン SLC-1933 (1970) ¥2,000→アルバム・カヴァー
*再発売の新譜。《イーゴリ公》序曲、交響曲「第二」「第三」。
1970年10月28日
《パイヤール/ドビュッシー・コンサート》
日本コロムビア エラート OS-2326-RE (1970) ¥2,000→アルバム・カヴァー*来日公演でもやった《六つの古代墓碑》はパイヤールの十八番。
1970年12月12日
《ドヴォルザーク/セレナード》
日本コロムビア スプラフォン OS-999-S (1968) ¥2,000→アルバム・カヴァー*鍾愛してやまないドヴォジャークのセレナード二曲をカップリング。
1970年12月12日
"Sir John Barbirolli - English Tone Pictures"
EMI ASD 2305 (1967) 価格不明→アルバム・カヴァー*ディーリアス《夏の歌》を収録。銀座のヤマハ楽器で見かけて即座に入手。
1970年12月25日
《ジャクリーヌ・デュ・プレ/シューマン、サン=サーンス》
東芝 エンジェル AA-8724 (1970) ¥2,000→アルバム・カヴァー*発売間もない新譜。初めてのジャクリーヌ・デュ・プレ。心して手に取った。
1970年12月25日
《アンセルメの芸術 第2期 ロシア編 1 第2巻/リムスキー=コルサコフ》
キング ロンドン SLC-1935 (1970) ¥2,000
→アルバム・カヴァー
*《サルタン皇帝の物語》《サトコ》《降誕祭前夜》《ドゥビヌシュカ》。
怒涛のように押し寄せる新たな音楽体験に心を奪われつつ、フランスとロシアの管弦楽曲を少しずつ手元に引き寄せようとしているのがわかる。前者ならミュンシュが、後者ならアンセルメが、当時の小生にとっての心強い導き手であった。
1970年は小生が英国の作曲家
フレデリック・ディーリアスを知った年でもある。きっかけは2月19日、NHKで放映された一本のモノクロ映画だった(
→これ)。その後わが国で静かに巻き起こったディーリアス愛好の機運からすると信じられないことだが、当時この国で手に入るディーリアス(当時の表記は「デリアス」)のレコードは、上に挙げたトマス・ビーチャム卿のアンソロジー・アルバムただ一枚きりだったのだから驚きだ。
その映画、すなわちケン・ラッセル監督のTV映画《
夏の歌 Song of Summer》に心を揺さぶられた小生は、十か月後ふとした偶然から表題曲《夏の歌》を収録したジョン・バルビローリ卿のアルバムを輸入盤で見つけた。嬉しくてその場で小躍りした。大切に両手で抱えるようにして銀座のヤマハ楽器店を後にしたときの胸の高鳴りを、四十六年後の今もありありと思い出す。未知の音楽と出逢う純粋な歓びに溢れた日々。嗚呼、Those were the days!