LPアルバムは当時千八百円から二千円した。高校生だった1969~70年頃の話である。今の感覚だと五、六千円といったところか。どのみち貧書生には高嶺の花だったから、おいそれと購入できない。前もって上野の文化会館で試聴して内容を確かめ、どうしても欲しいか、自問自答したうえで、清水の舞台から飛び降りる覚悟で秋葉原へ赴いたものだ。
しかしながら、いったん飛び降りて命に別条がないとわかると、再度また舞台に駆け上がる。レコード中毒とでもいおうか。高校二年生にして感染した。このあとずっと死に至るまで続く不治の業病なのだ。
前項で述べたヒンデミットの《白鳥の肉を焼く男》に引き続いて、1970年上半期のLP購入リストを手控帖から書き写そう。
1970年1月14日
《マルタ・アルゲリッヒ/ピアノ・リサイタル》
グラモフォン MG-2129 (1969) ¥2,000
*デビュー盤。ラヴェル《水の戯れ》、プロコフィエフ《トッカータ》ほか。
→アルバム・カヴァー1970年1月14日
《イ・ムジチ/メンデルスゾーン「弦楽八重奏曲」ほか》
フィリップス SFL-7996 (1967) ¥1,800 *ほかにヴォルフ《イタリアのセレナード》、ロッシーニ《四重ソナタ》を収録。
→アルバム・カヴァー
1970年2月2日
《マルタ・アルゲリッヒ/ピアノ・リサイタル》
グラモフォン SLGM-1310 (1965) ¥1,800
*二枚上と同一内容の初出盤。「ジャケ買い」である。
→アルバム・カヴァー1970年2月15日
《プロコフィエフ:交響曲第7番「青春」》
新世界 SMK-7534 (1968) ¥2,000 *ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー指揮の交響曲全集より。
→アルバム・カヴァー
1970年4月1日
《マルタ・アルゲリッヒ/ショパン名演集》
日本コロムビア OS-2110-PM (1968) ¥2,000*1965年のショパン・コンクール本選会の実況。
→アルバム・カヴァー
1970年4月10日
《現代フランス・バレエ音楽傑作集》
東芝 エンジェル AA-8206 (1968) ¥2,000*プーランク《牝鹿》、デュティユー《狼》、ミヨー《世界の創造》。
→アルバム・カヴァー1970年5月30日
《フォーレ/管弦楽名曲集》
東芝 エンジェル AA-8650 (1970) ¥2,000*《ペレアスとメリザンド》《ドリー》《マスクとベルガマスク》。ボード指揮。→アルバム・カヴァー1970年6月7日
《オイストラッフ・デラックス・シリーズ/プロコフィエフ》
東芝 エンジェル AA-8036 (1967) ¥2,000
*プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲二曲をカップリング。
→アルバム・カヴァーこのあたりのアルバムは小生の音楽鑑賞歴のいわば原点であり、メンデルスゾーンの八重奏といい、プーランクやフォーレの管弦楽曲といい、爾来ずっと愛惜してやまない曲ばかり。因縁のプロコフィエフもすでに視野に入っていたのがわかる。後年そのヴァイオリン協奏曲について英語で論考を書くとは予想だにしなかったが。
後年すべての演奏をCDでも買い直したから、もうLPで聴き直す機会もあるまいが、それでもこれらの盤は手放せない。とりわけ、最初のアルヘリッチのデビュー盤のジャケット裏には1970年1月15日(購入日の翌日だ)、リサイタル後の彼女にサインを貰ったし、プーランク+デュティユー+ミヨーの《バレエ音楽傑作集》には指揮者プレートルのサインを頂戴した。1970年4月25日、パリ管弦楽団の演奏会のあと、図々しく楽屋まで押しかけたのだ。田舎の高校生らしいうぶな熱中ぶりの証である。恥ずかしくも懐かしくもある。
折角の機会なので、メンデルスゾーンのオクテットを、刷り込みとなって久しいイ・ムジチ合奏団の録音(1966)で聴こう(
→ここ)。
のびのびと歌いに歌う、室内楽というよりもオーケストラ的に豊饒な響きが半世紀後の今も魅力的。これこそ永遠に青春的なる音楽である。