昨日は久しぶりに渋谷のタワーレコードに立ち寄ったのでBBC Music Magazine を手にしたあと新譜の棚を物色。一枚だけレジに持参した。
"Charles Munch/WDR Sinfonieorchester Köln"
フォーレ:
組曲《ペレアスとメリザンド》
リスト:
ピアノ協奏曲 第一番*
ドビュッシー:
牧神の午後への前奏曲**
ルーセル:
交響曲 第三番
ピアノ/ニコール・アンリオ=シュヴァイツァー*
フルート/ハンス=ユルゲン・メーリング**
シャルル・ミュンシュ指揮
ケルン放送交響楽団1966年9月30日、ケルン放送局、クラウス=フォン=ビスマルク=ザール
Weitblick SSS0192-2 (2016)
→アルバム・カヴァー1962年にボストン交響楽団の常任を辞して帰仏したシャルル・ミュンシュはパリのフランス放送国立管弦楽団の音楽監督に就任したが、この地位は縛りが少なく、自分だけの時間が多くとれたところから、彼は単身で世界各地のオーケストラに客演して廻った。そのあとアンドレ・マルローに乞われて新設パリ管弦楽団の初代指揮者に就く1967年までの五年間は、おそらくミュンシュの生涯で最も自由で幸福な、インディアン・サマーとも呼ぶべき時期だったと想像する。
彼がこの期間に客演した楽団は、音源が残る限りでも、ロンドン(ニュー・フィルハーモニア)、ロッテルダム(ロッテルダム・フィル)、ミュンヘン(バイエルン放送交響楽団)、ブダペスト(ハンガリー放送管弦楽団)、モスクワ(ソ連国立交響楽団)、フィラデルフィア(フィラデルフィア管弦楽団)、シカゴ(シカゴ交響楽団)、ケベック(ラディオ=カナダ交響楽団)、モントリオール(モントリオール交響楽団)、そして東京(日本フィルハーモニー交響楽団)と多岐にわたっている。もちろんフランス放送国立管弦楽団との共演も多く、1966年10月には同楽団と再々来日を果たしている。このたび録音が日の目を見たケルンの放送局のオーケストラとの一度きりの共演は、その直前の66年9月末日になされたものだ。
経験的に云えるのだが、この時期のミュンシュはどこのオーケストラを振っても思うがまま自分の音楽を奏でさせることができた。フィラデルフィアやシカゴのような腕利き楽団はもとより、フランス音楽に不馴れだったハンガリーやロシアのオーケストラとも息を呑むような凄演を成し遂げている。当時はまだ低水準だった日本フィルからも驚くほど生々しい音楽を引き出した。これまでにその証拠となる音源をいくつも耳にしたから断言できるのだ。
さて本CDに収められた演奏は「ライヴ」と表示されてはいるが、客席のノイズは一切なく、実際には聴衆のいないホール収録だったようだ。スタジオでのセッション収録に近いものだろう。
冒頭のフォーレ《ペレアス》組曲がとりわけ素晴らしい。ひっそりと忍び寄るような弱音に心が籠っていて、激越な凄演指揮者ミュンシュの「もうひとつの貌」を見る思い。フィラデルフィアとの正規スタジオ録音をも凌ぐ出来映えではないか。ケルンの楽団はさすが放送オーケストラだけあって即応能力があって、フランス音楽も難なくこなす。《牧神》だって違和感は微塵もない。
最大の聴きものであるルーセルの第三交響曲では、随所で指揮者の叱咤激励の声が飛ぶ。十八番だけあって堂々たる演奏だが、こういう曲の場合、ミュンシュは演奏会でこそ真の威力を十全に発揮できる。その点では同時期のラムルー管弦楽団との正規盤に近く、シカゴ交響楽団との実況録音の白熱には及ばない気がする。
本ディスクはドイツ盤という体裁ながら日本語のライナーノーツも併載され(筆者は大野澄明なる輩)、これがまたしても暗愚でお粗末な代物だ。
本CDを称して「
ミュンシュとドイツのオーケストラによる初のディスクとなる!」だと。痴れ者め。バイエルン放送交響楽団とのベルリオーズ《レクイエム》正規盤(Deutsche Grammophon, 1967)を知らいでか? 常識ぢゃないか!
恥ずべきことに、同じライナーノーツは英語にも独語にも訳載されたうえ、CD帯の惹句にもこのくだりが用いられている。恥の上塗りとはこのことだ。世界中の笑い者となるがいい!