今月の初めに出た青柳いづみこと高橋悠治の新譜CD《大田黒元雄のピアノ―100年の余韻―》(コジマ録音/ALMレコード)が『レコード芸術』誌で「特選」に選ばれている。
もう何十年も手に取らない雑誌なので、どれほどの名誉なのか小生には詳らかでないが、二人いる評者が両方とも「推薦盤」にしないと「特選」にならない仕組みらしいので、おいそれとは頂戴できない類の勲章のようだ。なにはともあれ、慶賀ではある。少しだけ関わった小生としては嬉しい限りだ。これが不当に忘れられた私たちの偉大な先達、大田黒元雄の復権の契機になればいいのだが。
それにしても本屋で立ち読みしたその二人のレコード評の駄目さ加減には呆れ返ってしまう。文章の稚拙さ、格調の低さはひとまず措くとして、短い評文のなかに不注意な事実誤認が目につく。
大田黒が自宅での「ピアノの夕べ」にこのピアノを使用したのは三回だけなのに、全12回全部で使用したことになっているし、青柳いづみこさんが当楽器を弾いた機会は「私的なコンサート」ではなく、れっきとした杉並区主催の会や、浜離宮朝日ホールでのリサイタルなのだ。
《束の間の幻影》を「プロコフィエフが日本滞在の頃に作曲された」と記すのもガサツな間違いだし、大田黒邸でプロコフィエフが《マ・メール・ロワ》の「連弾を楽しんだ」というのも事実に反する(実際はひとりで楽譜を遊び弾きしただけ)。
そもそも、これら評者たち(濱田滋郎と那須田務)はちゃんと音盤を聴き、ライナーノーツをきちんと通読したのだろうか。歴史ある雑誌の責任ある評者としての任務を担うのに相応しい人たちの仕事とは到底いえない代物だ。少なくとも、お金を払って読むまっとうな文章ではないと小生は感じた。
もっと情けなかったのは、この月曜(10月17日)の朝日新聞夕刊でたまたま見かけたレコード評。
そこでも当CDは推薦盤扱いなのは結構だが、タイトルを「太田黒元雄のピアノ」と平気で間違い、紹介文中でも「太田黒邸」と誤記したままだ。書き手の粗忽さもあんまりだが、新聞社の校閲部の目も節穴だ。評者(金)とは金澤正剛氏のこと。国際基督教大で長く中世・ルネサンス音楽史を講じたエライ先生である。音楽学者の肩書が泣くというものだ。
追記)
この記事を読んだ親切な知友から10月22日の朝日新聞夕刊に「訂正して、おわびします」告知が載った旨を教えられた。曰く「確認が不十分でした」云々。然り、過ちては改むるに憚ること勿れ。