ニンバス・レコード(Nimbus Records)は今も現役であり、「消えた」レーベルと呼ぶのは適切ではないのだが、一度は倒産の憂き目にあい、もはや全盛期の輝きを失ったという意味で、この範疇に加えておく(
→社名ロゴ)。
創設はLP時代の1972年。当初からナチュラル・サウンドを標榜し、全方位的な自然な音場を再生するアンビソニック(ambisonic)方式による録音を開発した。早くからディジタル録音を手がけ、英国初のCDはニンバスから出たという。
同社はイングランド西端ヘレフォードシャー地方モンマス郊外の古い城館ワイアストン・リーズ(Wyastone Leys
→ここ)を本拠とし、その居室を改造したスタジオで理想的な録音を達成した。この城館にはやがて座席五百五十のコンサートホールも併設されたという。インディ・レーベルらしからぬ贅沢な環境は、潤沢な資金を背景にしたものだろうが、そこはかとなく貴族的な矜持を漂わせたニンバス・レーベルこそは英国らしさ(Englishness)のひとつの体現だろう。
小生がニンバス・レコードを知ったのは1980年代、
ヴラド・ペルルミュテールが晩年に行った一連の録音を通してである。リトアニア系フランス人でラヴェルを得意とした名ピアニストだ。彼のラヴェル全集やショパンのアルバムを、それこそ擦り切れるほど熱心に聴いたものだ。ただし、ニンバスが提唱するたっぷり残響の多い「自然な」録音方式はペルルミュテールには相応しくなく、その真珠のように粒だったタッチを捉え損なっているような気がしたものだ。
このあとに挙げた五点のCDのなかには、現今もニンバスから発売されているものも含まれるが、それらは今やCD-R盤によるコピーでしかなく、その意味では中古店でオリジナルCDを捜し出すだけの価値はありそうである。
"Skriabin & Prokofiev: Piano Music - Maria Deyanova"
スクリャービン:
練習曲 作品8 第2,4、8、9,11、12番
練習曲 作品42 第2、3、4、7番
練習曲 作品65 第2、3番
三つの小品 作品2
二つの詩曲 作品32
気怠い詩 作品52 第3番
ソナタ 第五番
プロコフィエフ:
束の間の幻影
老いた老婆の物語
ピアノ/マルタ・デヤノヴァ1988年10月6、7日、ワイアストーン・リーズ
Nimbus NI 5176 (1989)
→アルバム・カヴァーブルガリアのピアニスト、マルタ・デヤノヴァ Marta Deyanova(1948~ )については知るところが尠く、ニンバスにスクリャービン、ラフマニノフ、シューベルト、シューマンを集中的に録音した女性という程度の知識しかない。スクリャービンを苦手とする小生には偉そうなことはいえないが、ここで聴くエチュードやポエムは美しく音楽的に響く。ニンバスの録音方式も彼女には奏功し、ニュアンスに富んだ音色をごく自然に捉えている。プロコフィエフの《束の間の幻影》も絶品だ。
"Hugues Cuénod: SATIE Socrate - French Song Cycles"
ジャック・ド・メナシュ:
子供たちの二通の手紙
エマニュエル・シャブリエ:
蝉
小さな家鴨たちのヴィラネル
ピンクの豚たちの田園曲
太った七面鳥のバラード
アルテュール・オネゲル:
歌曲集《サリュスト・デュ・バルタス》
アルベール・ルーセル:
サラマンカの学生
フランシス・プーランク:
「セー」('C')
彼のギターに
エリック・サティ:
ダフェネオ
ブロンズ像
帽子屋
潜水人形
交響的ドラマ《ソクラテス》
テノール/ユーグ・キュエノー
ピアノ/ジョフリー・パーソンズ1974年、ワイアストーン・リーズ
Nimbus NI 5027 (1985)
→アルバム・カヴァーユーグ・キュエノー Hugues Cuénod(1902~2010)は知る人ぞ知るスイスの名テノール。戦前からの芸歴にもかかわらず録音に恵まれない彼をワイアストーン・リーズの城館に招き、LP四枚分のフランス近代音楽を収録したのは、レコード史上に残る快挙といえよう。彼こそはカミーユ・モラーヌとともに、フランス歌曲の最も正統的な解釈者だった。ディクシオンの繊細な美しさといったら! 本CDは三枚のLPから編まれた再編集盤だが、キュエノーの至芸に接するうえで不足はない。とりわけ、ひたすら淡々と語られた《ソクラテス》に胸うたれぬ者はいないだろう。
"Stravinsky/Ramuz: The Soldier's Tale"
ストラヴィンスキー:
兵士の物語(英語版=アラン・ウィルトシャー+エイドリアン・ファーマー)
ナレーション/クリストファー・リー
ライオネル・フレンド指揮
スコットランド室内管弦楽団1986年4月27、28、29日、グラズゴー、シティ・ホール
Nimbus NI 5063 (1986)
→アルバム・カヴァー
「独り芝居」の英語版《兵士の物語》としてはイチオシの演奏。格調高く、しかも真に迫るナレーションはさすが稀代のドラキュラ役者だけのことはある。音楽劇らしい秀逸な仕上がりはライオネル・フレンドがオペラ畑の指揮者である故か。城館を離れた出張録音ながら、臨場感とバランスの良さはさすがニンバスの面目躍如。
"Edward Elgar: Works for String Orchestra"
エルガー:
序奏とアレグロ*
悲歌
溜息**
セレナード
朝の歌
夜の歌
組曲《スペインの貴婦人》
ウィリアム・ボートン指揮
イングリッシュ・ストリング・オーケストラ
弦楽四重奏/ジェイムズ・デイヴィス、ピエール・ジューベール、ヘレン・ロバーツ、シルヴィア・ナッセン*
オルガン/エイドリアン・パーティントン**
ハープ/ロバート・ジョンストン**1983年7月3、4日、バーミンガム大学大ホール
Nimbus NI 5008 (1983)
→アルバム・カヴァーエルガーの弦楽アンサンブル曲を集めたアルバムは意外にも類例が少なく、手元にはマリナーとメニューインの盤がある程度か。だから重宝する一枚なのだが、演奏も堂に入ってなかなかのものだ。エルガーゆかりのモールヴァンの丘をあしらったカヴァー写真の美しさも相俟って、ついつい手が伸びてしまう愛聴盤。聴くべし!
"Percy Grainger plays Grainger"
グレインジャー:
シェパーズ・ヘイ!
カントリー・ガーデンズ
サセックスの旅役者のクリスマス・キャロル
ユトランド民謡メドレー
岸辺のモリー
私のジョンよ、もう一日
スプーン・リヴァー
戦士たち
《薔薇の騎士》終幕の愛の二重唱によるランブル
マーチ=ジグ (スタンフォード「四つのアイルランド舞曲」、グレインジャー編)
レプラコーンの踊り (スタンフォード「四つのアイルランド舞曲」、グレインジャー編)
リール (スタンフォード「四つのアイルランド舞曲」、グレインジャー編)
羊と山羊が牧場へ歩む (アメリカ民謡、ガイオン編)
藁のなかの七面鳥 (アメリカ民謡、ガイオン編)
陽気な、しかしもの悲しげな
ガムサッカーズ・マーチ*
ザンジバルの舟歌
コロニアル・ソング
ウォーキング・チューン
子供のマーチ: 丘を越えて遙かに*
ピアノ/パーシー・グレインジャー +ロッタ・ミルズ・ハウ*1915年6月~1929年3月、イオリアン社「デュオ=アート」録音
Nimbus-Grand Piano NI 8809 (1996)
→アルバム・カヴァーニンバス・レコードはナチュラル・サウンドの新録音という「本業」のほか、大昔のピアノロールや往時の声楽家のSP録音を丁寧に再生・覆刻した "Grand Piano" "Prima Voce" のCDシリーズも手がけている。このパーシー・グレインジャーの自作自演アンソロジーもその一枚。ピアノロール録音の通弊でタッチがやや人間離れして響くが、総じてピアニスティックな感興とヴァイタルな生命力の発露に横溢する演奏だ。ほんの部分的だが《戦士たち》のクライマックスが聴けるのが嬉しい。