CD隆盛期の1980年代末から90年代にかけてクラシカル・レコードの輸入盤を漁った者にとって、紫の地色にASVの文字を白抜きであしらったレーベル・ロゴはとりわけ記憶の奥底に刻まれているはずだ(
→これ)。
ASVとは "Academy Sound and Vision" の省略形だそうだ。ずいぶん大仰な社名だが、長くデッカ傘下にあった名門アーゴ(Argo)レーベルが消滅の憂き目に会ったとき、その経営陣が心機一転、新たに興したインディ・レーベルだった。創立は1981年だという。英国のレーベルらしく、マルコム・アーノルド、アンジェイ・パヌフニクらの作品を積極的に録音したが、それ以外にも幅広くクラシカルの全領域をカヴァーし、些か無節操なほど多くのアルバムを世に送った。その分、レーベル固有の特色が薄らいで損をした面もあったように思う。常連アーティストは指揮者の
ホセ・セレブリエール、
ロリス・チェクナヴォリアン、
エンリケ・バティス、
リンジー弦楽四重奏団、クラリネットの
エマ・ジョンソンといったところ。地味ながらそれなりの実力者を擁した陣容といえようか。
ASVはまた、戦前の英米のジャズや懐メロを覆刻する "Living Era" シリーズや、英国のセミ・クラシカル音楽に特化した "White Line" シリーズなども打ち出し、多面的かつ意欲的な活動を展開した。
21世紀に入ってもASVは順調に新譜を出していたが、折からレコード業界を見舞った大不況と再編成の荒波を受けて、2007年にユニヴァーサル社に吸収合併され消滅。充実したカタログは全点廃盤の憂き目を見た。
小生はとりたててASVに注目していた訳ではないが、それでも忘れがたいディスクの幾枚が思い出される。これらがもう入手できないとは実に嘆かわしい損失だ。
"Prokofiev: Violin Sonatas - Fujikawa/Sheppard"
プロコフィエフ:
ヴァイオリン・ソナタ 第一番
ヴァイオリン・ソナタ 第二番
五つの旋律
ヴァイオリン/藤川真弓
ピアノ/クレイグ・シェパード1989年3月13、14日、モーデン、セント・ピーターズ教会
ASV CD DCA 667 (1989)
→アルバム・カヴァー藤川真弓がASVで吹き込んだ二枚のアルバムのひとつ(もう一方はフォーレのソナタ集)。前にもここで紹介したが、プロコフィエフ演奏史上に残る稀代の名演である。プロコフィエフ評伝の巻末の録音ガイドでダニエル・ジャッフェが推奨していたのも宜なるかな。久しぶりに聴き直したが、その思いを強くした。作為の欠片もない素直な演奏なのに表現が深いところに届く。日本クラウンから国内盤も出た。
"Koechlin: Barry Tuckwell"
ケックラン:
ホルン・ソナタ 作品70
ホルンのための初見曲
十五の小品 作品180
十一の《ソヌリー Sonneries》
ホルン/バリー・タックウェル
ピアノ/ダニエル・ブルメンタール1989年7月、ケンティッシュ・タウン、セント・サイラス教会
1990年1月、ロンドン、アビー・ロード、EMIスタジオ
ASV CD DCA 716 (1990)
→アルバム・カヴァーアラン・シヴィルとともに英国を代表するホルン奏者タックウェル(生まれはオーストラリアだが、長くロンドン交響楽団の首席を務めた)によるシャルル・ケックランの珍しいホルン曲集。インディ・レーベルならではの果敢な企てといえよう。やがて訪れるケックラン復活に先駆けた重要な録音だが、今に至るまで同種の作品集は出ておらず貴重さは変わらない。云うまでもなく演奏は頗る上乗。これも日本クラウンから国内盤が出たが、カヴァーをタックウェルの肖像写真が飾っていた。
"Walton: Facade and Sitwell Poems"
シットウェル=ウォルトン:
《ファサード》(全二十二曲)*
シットウェル:
詩集(十五篇)
朗読/プルネラ・スケールズ、ティモシー・ウェスト
ジェイン・グローヴァー指揮
ロンドン・モーツァルト・プレイヤー*1989年1月15、19、20日、ハムステッド、ウェスト・ヘルス・ステューディオズ
ASV CD DCA 679 (1989)
→アルバム・カヴァーイーディス・シットウェルの詩の朗読に、ウォルトンが小編成アンサンブルの伴奏を附ける。1923年ロンドンで初演された《ファサード Façade》は、英国初の記念すべきモダニズム音楽である。その初演は《月に浮かれたピエロ》や《兵士の物語》の初演に比すべき「事件」だった。今では未刊だった曲がいろいろ発掘され、《ファサード》には四十以上の小曲が認定されるが、ここで奏されるのはウォルトンが1951年に改訂を加えた「決定版」二十二曲。朗読もアンサンブル指揮も演奏も申し分のない出来だ。後半では同じ朗読者たちがシットウェル詩篇を朗誦する。
"The French Connection"
ラヴェル:
《クープランの墓》
ドビュッシー:
神聖な舞曲と世俗の舞曲*
フォーレ(ラボー編):
組曲《ドリー》
イベール:
嬉遊曲
ハープ/オシアン・エリス*
ネヴィル・マリナー指揮
アカデミー・オヴ・セント・マーティン=イン=ザ=フィールズ
1982年7月、ロンドン、アビー・ロード・ステューディオズ
ASV CD DCA 517 (1982/1994)
→アルバム・カヴァー旧アーゴのスタッフが創設したASVレコードがネヴィル・マリナーの登場を促したのは当然の成り行きだろう。マリナーとその手兵「ジ・アカデミー」はもともとアーゴ・レーベルの看板アーティストだったのだ。恩ある旧友たちの誘いでマリナーは三枚のCD──ウェーバーの交響曲集と《フレンチ・コネクション》《イングリッシュ・コネクション》という二つの愛奏曲集──をASVに録音した。《イングリッシュ・コネクション》は前に紹介した(
→ネヴィル卿の卒寿を祝う演奏会)ので、今日はこちらを聴く。涼やかだが人懐こい音色が好もしく、英国流儀のフレンチ・レストランさながら。かかる佳作アルバムも時の試練に耐え得ず忘れられた。
"Tribute to Madam"
アーサー・ブリス:
《チェックメイト》全曲 (1937)*
コンスタント・ランバート(ウィリアム・ボイス原曲):
《われらの前の展望》全曲 (1940)**
ギャビン・ゴードン:
《放蕩者の遍歴》全曲 (1935)***
ジョフリー・トイ:
《呪われた舞踏室》全曲 (1934)****
バリー・ワーズワース指揮
ロイヤル・バレエ・シンフォニア2001年5月21、22日、ロンドン、ウォルサムストウ・タウン・ホール* **
2001年5月23、28日、ゴールダーズ・グリーン・ヒッポドローム*** ****
ASV CD WLS 255 (2CDs, 2001)
→アルバム・カヴァー英国の軽音楽系クラシカルを扱う "White Line" シリーズの一枚だが、内容は毫もライトでなく、重要なバレエ音楽を集めたへヴィな二枚組。標題が斜体字で記す "Madam" とは英国バレエ界を長く牽引した大バレリーナ
二ネット・ド・ヴァロワ(Ninette de Valois 1898~2001)のこと。三世紀にわたって生き(!)、斯界でいつしか「マダム」の尊称を奉られた。ここに収められたのは彼女が両大戦間に率いたオールド・ヴィック座バレエ団やサドラーズ・ウェルズ・バレエ団が委嘱し初演した生粋の英国バレエ音楽ばかり。バレエ音楽ファン必携のアルバムである。