少し前に、1950年代のLP黎明期にほんの数年間ボストンに実在した弱小レーベル「ユニコーン・レコード」を紹介した際(
→忘れられたユニコーン・レコード)、同じ名称を名乗る英国レーベルのことを引き合いに出したのだが、そのときにふと思った。今やこの英国の「ユニコーン」の存在すらが、多くの人々にとってもはや忘却の彼方なのではないか、と。
そこで1980~90年代初期にユニークなCD制作で気を吐いた英国の「もうひとつの」ユニコーン・レコードのことを少し書いてみようと思う。ただし小生が持ちあわせるのは、たまたま知り得たごく断片的な情報だから、以下の記述は葦の髄から空を見上げる塩梅になることを予めお断りしておく。
LP時代からのクラシカル音楽愛好家にとって、ユニコーン・レコードといえば一連のフルトヴェングラー演奏のLPだろう。第二次大戦で勝利したソ連がベルリンで接収したフルトヴェングラーの実況録音に逸早く着目し、それらの覆刻LPを次々に世に問うた。1970年代初頭のことだ(日本盤もコロムビアから出た)。続いて、半ば忘れられていた指揮者ヤッシャ・ホーレンシュタインにマーラーやニルセンの交響曲を振らせた一連の新録音。見知らぬ老匠の「奇蹟の復活」にも驚かされたものだ。同時に一角獣を描いたこの印象的なレーベル・ロゴ(
→これ)を記憶に留めた向きも少なくなかろう。同社の設立は1968年、創業者はジョン・ゴールドスミス(John Goldsmith)なる人。さぞかしこだわりの強い御仁なのだろう。
わが国で評判になったのはもっぱらこの両シリーズだが、そのほかユニコーンでは映画音楽の巨匠
バーナード・ハーマンを指揮者に起用し、ヒッチコック作品の映画音楽のみならず、彼の知られざるオペラ《嵐が丘》やカンタータ作品まで録音したほか、ディーリアスの最晩年に助手としていくつもの作品を完成へと導いた作曲家
エリック・フェンビーを指揮者・ピアノ伴奏者に招き、ゆかりのディーリアス作品の貴重な録音を数多く手がけた(その集大成は
→これ)。
たぶん1980年前後だったと思うのだが、同社はレーベル名を「ユニコーン」から「ユニコーン=カンチャナ Unicorn-Kanchana」と改め(
→新ロゴ)、CD時代に入っても他の追随を許さない通好みのレパートリーを擁して、なおも果敢に挑戦を続けた。ただしそれも1990年代半ばまでで、いつしか新譜発売は途絶えて今日に至る。英語版ウィキペディアの記述も、だから時制は過去形である。
以下は小生が今も手許に置き、時おり耳を傾けるユニコーン=カンチャナのCD。アトランダムに五枚を並べただけだが、いずれも入手が難しくなることだろう。
"Percy Grainger: Chosen for Piano -- Penelope Thwaites"
グレインジャー:
デンマーク民謡組曲
■ 愛の力 (ペネロピ・スウェイツ編)*
■ 夜鶯と二人姉妹
■ ユトランド民謡メドレー
私のジョンよ、もう一日
騎士と羊飼の娘
ウッドストック・タウンの傍で
カントリー・ガーデンズ
サセックス・ママーズのクリスマス・キャロル
シェパーズ・ヘイ
北欧の姫君へ
一目惚れ(エラ・グレインジャー作、ロナルド・スティーヴンソン編)*
子供たちの行進曲: 丘を越えて遙かに
婚礼の子守唄
ストランド街のヘンデル
コロニアル・ソング
ネル (フォーレ作、グレインジャー編)
チャイコフスキーの「花の円舞曲」パラフレーズ
おお、今こそ分かれめ (ダウランド作、グレインジャー編)
ピアノ/ペネロピ・スウェイツ1992年2月6,7日、ハムステッド、ロスリン・ヒル・チャペル
Unicorn-Kanchana DKP(CD)9127 (1992)
→アルバム・カヴァー1990年代後半に澎湃として巻き起こるパーシー・グレインジャー再評価の先駆けとなった一枚。スペシャリストのスウェイツ女史は Chandos レーベルでも同種のアルバムを再録音したため、本作はその蔭に隠れてしまったが、改めて聴くとさすがにグレインジャーの神髄を捉まえた秀演である。世界初録音(*)二点を含む。
"Jill Gomez in Cabaret Classics"
ワイル:
《マリー・ギャラント》の歌
■ ボルドーの娘たち
■ 大きな怪物
■ アキテーヌの王様
■ 私は船を待つ
ツェムリンスキー:
十二の歌 作品27 より
■ ハーレムの踊り子
■ 悲哀
■ アフリカの踊り
シェーンベルク:
ブレットル=リーダー より
■《アルカディアの鏡》のアリア
■ ギガーレッテ
■ 満ち足りた恋人
■ 警告
サティ:
■ エンパイア座の歌姫
■ ショショットで行こう
■ あなたが欲しい
ワイル:
■ 私のお舟 ~《暗闇の女》
■ 孤独な家 ~《ストリート・シーン》
■ それはあなたぢゃない ~《ニッカボッカー・ホリデイ》
ソプラノ/ジル・ゴメス
ピアノ/ジョン・コンスタブル1987年2月18、19日、クラークンウェル、セント・ジェイムズ・チャーチ
Unicorn-Kanchana DKP(CD)9055 (1988)
→アルバム・カヴァートリニダード出身でロンドンに学び、英国オペラ界で活躍したジル・ゴメス女史は、キャバレー・ソングの歌い手としても際だった存在感を示した。このジャンルでの独・仏・米の優品をバランスよく配した本作は、その後さまざまな歌手が拵えた同工異曲アルバムのなかでも一頭地抜きんでた出来映えだ。選曲も凝っている。
"Bernard Herrmann: Echoes Quartet etc"
バーナード・ハーマン:
クラリネット五重奏曲《旅の思い出》*
弦楽四重奏曲《残響 Echoes》**
クラリネット/ロバート・ヒル*
エアリエル四重奏団*
アミーチ四重奏団**1974年1月12日、ロンドン、セント・ジャイルズ・チャーチ・クリップルゲイト*
1966年、ロンドン、バーキング・アセンブリー・ホール**
Unicorn-Kanchana UKCD 2069 (1994)
→アルバム・カヴァーヒッチコックと決裂した失意のバーナード・ハーマンは拠点をロンドンに移し、映画音楽の作曲と並行しつつクラシカルな純粋音楽にも意欲を示した。ユニコーン・レーベルでは彼をしきりに起用して、多くの自作自演を指揮させた。本作はその補遺として、恐らく作曲者の監修のもとでLP時代に出された室内楽アルバム。それぞれ1967年、66年の作品だが、一聴した印象はブラームスやレーガーの衣鉢を継いだ甘美で内省的な後期ロマン派にほかならない。渋く美しい時代錯誤的な音楽だ。
"Frederick Delius: Violin Concerto/Suite/Légende"
ディーリアス:
ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリンと管弦楽のための組曲
ヴァイオリンと管弦楽のための《伝説》
ヴァイオリン/ラルフ・ホームズ
ヴァ―ノン・ハンドリー指揮
ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団1984年5月21、22日、ロンドン、ヘンリー・ウッド・ホール
Unicorn-Kanchana DKP(CD)9040 (1985)
→アルバム・カヴァーラルフ・ホームズ(Ralph Holmes)というヴァイオリニストは、ユニコーンから出たエリック・フェンビーとの共演になるディーリアスのソナタ集のLP(
→これ)で知った。ケン・ラッセル監督の映画《夏の歌》のスチル写真をあしらったジャケットの良さもさることながら、余韻嫋々たるヴァイオリンの音色に魅せられた。そのホームズがディーリアスのヴァイオリンの協奏作品をアルバムにまとめてくれた。しかも組曲と《伝説》はともに世界初録音という。哀しいことに、ホームズはこれを録音した翌85年9月、四十七歳の若さで早世した。これは彼の最後の録音となってしまったのだ。そう思うと一層その哀切な調べが胸に迫る。ハンドリーの伴奏指揮も綿密繊細を極めたもの。あらゆるディーリアンが座右に備えるべき名盤。
"Peter Maxwell Davies: Miss Donnithorne's Maggot, etc"
マックスウェル・デイヴィス:
《ドニソーン嬢の綺想》*
《狂王のための八つの歌》**
メゾソプラノ/メアリー・トマス*
バリトン/ジュリアス・イーストマン**
ピーター・マックスウェル・デイヴィス卿指揮
ザ・ファイア・オヴ・ロンドン1984年5月24日、ロンドン、ヘンリー・ウッド・ホール*
1970年10月1、2日、ロンドン、デッカ・スタジオ**
Unicorn-Kanchana DKP(CD)9052 (1987)
→アルバム・カヴァーユニコーンの功績のひとつは、今年になって長逝した英国の作曲家
ピーター・マックスウェル・デイヴィス(1934~2016)の作品を逸早く世に問うたことだろう。小生は決して彼の良き聴き手ではないが、その名声を確立した声楽作品二曲をカップリングした本アルバムはかなり気に入っている。《狂王のための八つの歌 Eight Songs for a Mad King》(1969)は、正気を失った英王ジョージ三世の晩年に取材し、《ドニソーン嬢の綺想 Miss Donnithorne's Maggot》(1974)は、豪州に実在した19世紀の精神病者の妄想を描く。ともに独唱と室内楽による《月に浮かれたピエロ》の流れを汲む音楽劇(music-theatre)として出色の作ではないか。なお《狂王のための八つの歌》はユニコーン最初期のLPの一枚で、ケン・ラッセル監督が "Programme and Presentation" の肩書で制作に携わった曰くつきの録音。