ほぼ十日ぶりに上京した。今にも降り出しそうな空模様なので南阿佐ヶ谷駅からは小走り。中杉通りを北上し、途中で左に折れて裏道を五分ほど歩くとコジマ録音(ALMレコード)に着いた。小生がこの夏ライナーノーツを執筆したCDが遂に完成したというので、現物を一目見ようと馳せ参じた次第である。二階のオフィスで担当の嶋ゆりかさんから「やっと出来上がりました」と手渡されると、さすがに感慨がこみ上げる。さんざん呻吟して書いたのだから当然だ。
アルバムは題して「大田黒元雄のピアノ──100年の余韻」。ロンドン留学から帰国した大田黒青年が1915年から17年にかけて、大森山王の自宅で催した「ピアノの夕べ」なるサロン・コンサート。参集者わずか十数名のささやかな会だったが、ここでドビュッシー、スクリャービン、ラフマニノフ、シベリウス、マクダウェル、シリル・スコット、パーシー・グレインジャーなどの「同時代音楽」がわが国で初めて鳴り響いた。日本の近代音楽はまさにここから始まるのだ。
このCDはこれまでさまざまな形で「ドビュッシーとその時代」「ドビュッシーと日本」を探求してこられたピアニストの青柳いづみこさんが、現代日本を代表する作曲家・ピアニストの高橋悠治さんの協力を得て、「大田黒元雄へのオマージュ」として構想されたアルバムだ。収録曲目は百年前に実際に弾かれた曲を中心に、いずれも大田黒に因んだ音楽ばかりである。
録音に用いられたピアノは、荻窪の大田黒公園(大田黒の旧宅跡)の記念館に今も残る遺愛のスタインウェイ。1900年ハンブルクで製造された、寄木細工で覆われた古色床しいセミグランドだ。この楽器は1917年9月から大森の大田黒邸にあり、「ピアノの夕べ」で実際に用いられたほか、1918年夏に来日し、大田黒と親交を結んだ若きセルゲイ・プロコフィエフも弾いた楽器である。今回の収録は記念館内で、閉館時刻を過ぎた夕方から夜にかけて行われた。
この三月、青柳さんから「おやりにならない?」とライナーノーツ執筆を打診されたとき、図々しい小生もさすがにたじろいだ。CDのライナーはこれまで五点ほど手がけてはいるものの、いずれも友人の平林直哉君の自主製作盤だったから、わりあい気軽に引き受けてホイホイ書いた。だが、青柳いづみこ・高橋悠治ご両人の共演アルバムとなると話はまるで別だ。
なにしろ依頼主は、楽壇に令名を馳せる才媛ピアニストと、半世紀以上も現代音楽を導いてきた天才作曲家なのだ。殆ど神に近い存在であり、畏れ多くて口をきくことすら憚られる。かてて加えてご両人は揃いも揃って筆が立ち、ともにご著書が数多くある達意の文章家でもある。ライナーノーツもご自身ですらすら書かれる。
だが、さんざん迷った末、勇を鼓して引き受けることにした。素人の愛好家にこれ以上の名誉はないし、こんな機会は滅多に訪れまい。そもそも大田黒元雄の業績について、きちんと研究している音楽史の専門家も思い当たらないのだ。「誰もやらないならば、自分がやる」の精神から、それこそ清水の舞台から飛び降りる覚悟で、挑戦してみようと心に決めたのである。
このCDが店頭に並び、ネット上でも入手できるのは10月7日以降というから、その時分になったら更に詳しい内容について再度ここで紹介しよう。今日のところは寄稿者用の一枚を頂戴し、ほかに知友に贈呈する分として十枚を註文。それでわが稿料はあらかた雲散霧消してしまった。嗚呼無情。
コジマ録音を辞去すると、正午を少し回っていた。外は小雨模様。
朝から何も口に入れていない小生は俄かに空腹を覚え、道すがら暖簾が目に留まった和食の店「にしぶち」で穴子天丼ランチを食する。丼から大きくはみ出た穴子に加え、海老、茄子、南瓜、ピーマン、馬鈴薯、薩摩芋が乗った椀飯振舞。からり揚がった衣も、甘すぎないタレも、副菜の小鉢と汁物も、それぞれに旨い。
そのあと阿佐ヶ谷駅まで早足で歩き、JRで御茶ノ水へ。久々ディスクユニオンで中古CDを漁るが目ぼしい掘出物はなし。ジャン=エフラム・バヴーゼとフランソワ=フレデリック・ギーの二台ピアノによるバルトーク《二つの肖像》+ドビュッシー《遊戯》+ストラヴィンスキー《春の祭典》(Chandos)、それに(かなり昔の珍しい盤で)ブルーノ・マデルナ指揮によるシューベルト「ザ・グレイト」&「第三」(Arkadia)、キャスリン・ストット独奏、ヴァ―ノン・ハンドリー指揮によるアイアランド、ブリッジ、ウォルトンのピアノ協奏曲集(Conifer)といった渋いラインナップの収穫物を手に、とぼとぼ家路についた。