九月の中旬に入ってすっかり秋めいてきた。暮れるのが早く、もう外はほの暗くなりつつある。こんな季節の変わり目に、取って置きのディスクを聴こう。
"Lyrics by IRA GERSHWIN: The 1952 Walden Sessions"
ジョージ・ガーシュウィン:
01. ブラ、ブラ、ブラ ~映画《ディリーシャス》
02. マイ・ワン・アンド・オンリー ~《ファニー・フェイス》
03. アイ・ドント・シンク・アイル・フォール・
イン・ラヴ・トゥデイ* ~《トレジャー・ガール》
ヴァ―ノン・デューク:
04. アイ・キャント・ゲット・スターティド ~《ジーグフェルド・フォリーズ》
クルト・ワイル:
05. ジェニーの伝説 ~《暗闇の女》
エロン・コープランド:
06. 若い世代* ~映画《北極星》
クルト・ワイル:
07. シング・ミー・ノット・ア・バラッド* ~《フィレンツェの熱血漢》
ジェローム・カーン:
08. プット・ミー・トゥ・ザ・テスト* ~映画《カバーガール》
09. ロング・アゴー・アンド・ファー・アウェイ ~映画《カバーガール》
アーサー・シュウォーツ:
10. ドント・ビー・ア・ウーマン・
イフ・ユー・キャン* ~《パーク・アヴェニュー》
ボーナス・トラック/
ジョージ・ガーシュウィン:
11. ウェア・ザ・ボイ? ヒア・ザ・ガール! ~《トレジャー・ガール》
12. ボイ! ワット・ラヴ・ハズ・ダン・トゥ・ミー! ~《ガール・クレイジー》
13. アイ・ドント・シンク・アイル・フォール・
イン・ラヴ・トゥデイ ~《トレジャー・ガール》
14. ザ・ハーフ・オヴ・イト、ディアリー、ブルーズ ~《レディ、ビー・グッド》
15. ザ・シンプル・ライフ ~《ア・デンジャラス・メイド》
16. ウェア・イズ・シー? ~《ジョージ・ホワイツ・スキャンダルズ》
17. オー、ソー・ナイス ~《トレジャー・ガール》
18. マイ・カズン・イン・ミルウォーキー ~《パードン・マイ・イングリッシュ》
ヴォーカル/
ルイーズ・カーライル 02, 07, 10
デイヴィッド・クレイグ 01, 03, 08, 13, 14, 16,
ナンシー・ウォーカー 03, 04, 05, 09, 10, 11-13, 15, 17, 18
パティ・ホープ、ロッキー・ブリナー、マイケル・マーティン 06
シャーロット・フォリー 10
アレンジ/
デイヴィッド・ベイカー
ピアノ/
デイヴィッド・ベイカー、ジョン・モリス*=世界初録音
1951年12月(11~18)、1952年(01~10)、ニューヨーク
Harbinger Records HCD 2502 (2008)
→アルバム・カヴァーこのCDの元になったアルバム "Lyrics by IRA GERSHWIN" は、LP黎明期にニューヨークに存在したインディペンデント・レーベル「ウォールデン・レコード Walden Records」(342 Madison Avenue, New York, NY)から1952年に発売された。これは同レーベルの記念すべき最初のアルバムだったらしい(レコード番号は WALDEN-300)。作曲家ジョージ・ガーシュウィンではなく、兄で作詞家のアイラ・ガーシュウィンを敢えてフィーチャーするあたりに新興レーベルならではの新しい視点と向こう見ずな気概が窺われる。
ウォールデン・レコードの創設者は当時三十歳だった
エドワード・ジャブロンスキ(Edward Jablonski 1922~2004)。ガーシュウィン兄弟の音楽に魅せられたジャブロンスキは高校生の頃からアイラ兄と文通を交わしていた。
第二次大戦での従軍と大学生活を経た1952年、ジャブロンスキは親しい友人だった
リオン・サイデル(Leon Seidel)を誘ってウォールデン・レコードを創設。これまた友人の
ピーター・バルトーク(Peter Bartók 1924~ )を録音技師に起用した。おまけにLPアルバム・カヴァーには高名な戯画家
アル・ハーシュフェルド(Al Hirschfeld 1903~2003)が秀逸なオリジナルの肖像カリカチュアを寄せている。弱小レコード会社らしからぬ贅沢な陣容である。
手元にあるLPアルバムの現物(覆刻CDと同じハーシュフェルドの戯画を大きくあしらったもの)は、盤自体もスリーヴも丁寧に作られていて、六十余年を経た今も新品同様のクオリティとオーラを放つ。とてもインディ・レーベルの第一作とは思えない入念な仕上がりである。
こう記すと、なにやら金満家の子息による好き放題の道楽めいて響くが、実際にはウォールデン・レコードの台所は火の車で、殆ど収益は上がらず、彼らの仕事は乏しい資本を元手にした "Labor of love" だったという。スタッフはほぼ無給で働き、ハーシュフェルドのオリジナル装画にも謝礼は払われなかったらしい。プロデューサーのサイデルはしばしば食堂のウェイターのアルバイトや、株の売り買いで資金を蓄えて録音セッションに備えたという(ジャブロンスキの回想による)。
作詞家アイラ・ガーシュウィンに焦点を合わせたため、アルバムはジョージ・ガーシュウィンに加え、ヴァ―ノン・デューク、クルト・ワイル、ジェローム・カーン、アーサー・シュウォーツのミュージカルと映画の挿入歌を幅広く含む内容となった。とりわけ珍しいのはルイス・マイルストーン監督の「抗ナチ親ソ」戦争物プロパガンダ映画《北極星 The North Star》(1943年/リリアン・ヘルマン、ジョージ・バランシンらも関わった)のためにコープランドがアイラの詞に作曲した歌で、ウクライナの農村の子らが唄う(!)「若い世代 Younger Generation」だろう。赤狩りの時代の真っ只中、関係者の誰もが「できるだけ触れてほしくない過去」だった映画の挿入歌だ。よくぞアルバムに含めてくれた。
選曲にあたっては、ジャブロンスキとすでに昵懇の間柄だったアイラ自身がいろいろと懇切に助言し、世界初録音が五曲も含まれるほか、なかには歌詞を部分的に補作した曲もある由(「アイ・キャント・ゲット・スターティド」)。
さて肝腎の歌手たちであるが、
ナンシー・ウォーカー Nancy Walker (1922~1992)がやがて脇役女優として名を成した以外は、まるで知らない人たちばかりだ。
デイヴィッド・クレイグ David Craig はその亭主らしいが、それ以上は詳らかでなく、
ルイーズ・カーライル Louise Carlyle はいくつかブロードウェイのミュージカルに出演し、米コロンビアの "Girl Crazy" で「サムとデリラ」を唄った人だという。要するに、当時もその後も大成せずに終わった人たちだ。
だから歌唱は下手ではないが、とりたてて個性的でもない。それだけに、それぞれのソングの味わいがストレートに伝わる点で、なかなか好感のもてる素直な歌唱なのだ。少なくとも小生はLPでも、この覆刻CDでも愉しみながら聴いた。
同じことは
デイヴィッド・ベイカー David Baker の編曲にも当て嵌まる。本アルバムのピアノ伴奏はこの人と
ジョン・モリス John Morris が分担しているが、どの曲がどちらの演奏なのかは明記されていない。
確固たる経営基盤を欠いたウォールデン・レコードは短命だった。存続したのは1952年から57年あたりまでだろうか。倒産がいつなのかは詳らかにしないが、ほどなく貴重な録音のマスターテープは行方不明になってしまった。恐らく破棄されたのだろう。弱小レーベルの宿命である。
存続した数年間に、ウォールデン・レコードは上述のアイラ・ガーシュウィンのアルバムのほか、コール・ポーター、ロジャーズ&ハート、アーサー・シュウォーツのソング集が各一枚、"Gershwin Rarities" と題したアルバムが二枚、ジェローム・カーンのソング集が二枚、そしてハロルド・アーレン自身も伴奏者としてピアノを弾くアルバム "The Music of Harold Arlen" あたりだろう。そのすべてのジャケットをアル・ハーシュフェルドのオリジナル戯画が飾っているのが素晴らしい。もっとも画料はいつも只だったらしいが(
→アルバム・カヴァー一覧)。
この最後のハロルド・アーレン集の収録時にも製作資金が底を尽き、蔭でこっそりアイラ・ガーシュウィンが出資して急場を凌いだという。常に金欠に悩まされた弱小レーベルらしいエピソードである。
小生の手元にはアイラ・ガーシュウィン集とハロルド・アーレン集の二枚のLPがあるだけだが、ウォールデン・レコードはこのほか一時期クラシカルの分野にも手を染めたらしく、チャールズ・グリフスのピアノ曲集(演奏=レオニード・ハンブロ/WALDEN-100)、エロン・コープランドのピアノ曲集(演奏=ウェブスター・エイトケン/WALDEN-101)の二枚のLPの存在が知られる。とことんアメリカ音楽にこだわったレーベルだったのだ。
1950年代とともに消滅したウォールデン・レコードが人々の口の端に上る機会は殆どなかった。創業者のひとりエドワード・ジャブロンスキはその後、ガーシュウィンの研究者・評伝作者として名を成し、その浩瀚な著作には小生も世話になったものだが、彼にかつてレコード会社を経営した過去があったとは長く知らずにきた。
こうして半ば幻と化したウォールデン・レコードの業績が再び日の目を見たのは、20世紀も押し詰まった1990年代末のこと。
古きブロードウェイ音楽の称揚を旨とするCDレーベルのハービンガー・レコード(Harbinger Records)が「ウォールデン・セッション」をひとつ、またひとつと(原テープは消滅していたので、状態のよいLP盤からの覆刻で)丁寧に甦らせ、元のライナーノーツや掲載写真、更にはハーシュフェルドのアルバム・カヴァーまで、元どおり忠実に復活させたのである。これを手にした最晩年のジャブロンスキは感激して「昔出たLPよりも音がいいぢゃないか」と褒めたという。
それらのCDは今でも手に入る。アメリカのソングライターの珠玉の名作をオーセンティックな歌唱で聴いてみたいという方に、強くお薦めしたい。ほれぼれするようなアルバムばかりですよ(
→Harbinger RecordsのHP)。