昨日は天気予報の警告に逆らって鎌倉へ出向いた。晴れると酷暑の陽射しが辛かろうと曇天の平日を選んだ次第。九時過ぎに家を出て、東京駅からは湘南電車のグリーン車。遅い朝食がわりに万世のハンバーグサンドを頬張る。家人と雑談していたら程なく大船だ。ここで横須賀線に乗り換えて二駅で鎌倉着。来てしまうと思いのほか近いものだ。
とりたてて旅の目的があるでもないが、まずは若宮大路を海の方角にしばらく進み、市役所付近で左の脇道に入る。あとは右に折れたり左に曲がったり。初めて来る界隈だが、予めグーグル地図で下調べしたので迷いはしない。駅から二十分ほど歩いただろうか、道路から少し入った古い木造の民家の前に「香菜軒」の手作り看板と「⇐営業中」の手書き文字(
→こんな光景)。ああ、開いててよかった。
2014年暮に富士見台の旧店舗を畳んでから早一年半、鎌倉の材木座のご実家に小スペースを自力で増築し、「香菜軒 寓(ぐう)」として再出発したのがこの五月下旬。すぐにでも訪問したいと念じていたが、愚図愚図していて今日になった。歩を進めると硝子戸の向こうから「あっ沼辺さんがいらした」の声がする。扉を開けると店主の三浦さんご夫妻がかいがいしく働いている。場所は移っても「香菜軒」は少しも変わらない。振り返ると、立派な大人になった息子さんの福くんがにこにこ佇んでいて挨拶される。たまたま京都から帰郷中だという。
今度の店はすこぶるユニーク。ご実家の既存の建物に隣接部分を建て増しし、そこに厨房(
→ここ)と食堂(
→ここ)を設けた。ただし限りある敷地なので客席数はわずか三席(!)。鎌倉一狭いレストランだろう。まず予約なしでは坐れないのだが、平日の曇天の正午前とあって幸いにも先客はいなかった。早速メニューから「野菜カレー」(家人)と「風干し野菜カレー」(小生)を所望。
あゝ旨い、この味だ。素材の持ち味を大切にした絶妙なコンビネーション。自然な風味が口いっぱいに広がる。しばし感慨に耽っていたら次々に来客がやってきて狭い店はたちまち汗牛充棟だ。長居はできないと挨拶して辞去。土産にと三浦夫人手製のクッキー「みそ×黒糖」と「けしの実×きび砂糖」を手にした。わざわざ外まで見送ってくれた福くんとは京都での再会を約した。
そのあとはさしたる目的もなく「水道路」という昔の軍用道路をゆるゆると北上。ポツリポツリ雨滴が落ちてきて次第に本降りになってきた。ちょうど古刹の妙本寺の総門が見えたので、早足で境内へと急ぐ。この寺には以前、芝居を観に来たことがある。2010年に「東京ノーヴイ・レパートリーシアター」がここの本堂で近松の《曾根崎心中》を上演したのだった。あの公演は良かった・・・そんな追憶を愉しむ暇もなく、石段を駆け上ってその本堂の軒下に駆け込む。
凄まじい驟雨。久しぶりの土砂降りだ。お堂の脇の崖下から雨水が滝のように流れ落ち、軒先の天水桶から溢れた水が勢いよく噴き出す。とても表を歩けそうにない。傘を差しても全身ずぶ濡れになるだろう。軒下で雨宿りできたのが勿怪の幸いである。ここで小一時間ほど様子見。先を急ぐ旅ではないから構わないのだが。
やっと小降りになったが降りやむ気配はない。意を決して傘を差し、駅の方角を目指す。家人の「せっかく鎌倉に来たのだから」の一言で散策を続行する。若宮大路の「コメダ珈琲」で一服したあと鶴岡八幡宮に参拝。さすがに人出が少ない。そのあとは小町通りを冷やかして歩く。ここも珍しく人影はまばらだ。
いやはや、濡れ鼠さながらの情けない姿で駅に戻ると構内の「大船軒」売店で「鯵と小鯛の押寿し」と「すけろく」を土産代わりに求めて退散。雨の鎌倉もいいものだ、と口にしてみるが、痩せ我慢としか響かない。まあ、こういう日もあるさ。むしろ忘れがたい一日というべきか。今度は晴れの日に来ようっと。