たまたま上京する機会を得たので、鍛冶橋から京橋界隈まで足を延ばし、フィルムセンターで『NFCカレンダー』最新号を貰いに行く。「生誕100年 映画監督 加藤泰」と銘打たれた記念上映のスケジュールが載っている(
→PDF版)。初期の短篇から《炎のごとく》まで、生涯のほぼ全作品(《ざ・鬼太鼓座》を除く)を網羅した内容だ。これまでキネカ大森や文芸地下や大井武蔵野館やユーロスペースでの回顧上映でほぼ観つくしたはずなので、今回は遠慮しようと思ったのだが、年代順に掲げられた作品紹介を読んでいたらもういけない。《大江戸の侠児》は細部の記憶が曖昧だし、《真田風雲録》はプリントが褪色していたっけ、《男の顔は履歴書》《阿片台地 地獄部隊突撃せよ》《懲役十八年》の三部作はどうしても再見したい、百歳の誕生日当日には、わが鍾愛の《骨までしゃぶる》と《車夫遊侠伝 喧嘩辰》が上映される・・・などなど、観たい気持ちがとめどなく湧いてきた。初期作の一本《清水港は鬼より怖い》は公開時のオリジナルは八十二分のところ、従来のプリントは四十六分しかなかった由(話の辻褄が合わなかったわけだ)。今回は現存する別素材と照合し、全長七十九分の新プリントを焼いたのだという。
ついでにチラシのコーナーに置いてあった『東映キネマ旬報』なるフリーペーパーも貰ってきた(
→これ)。真っ赤な表紙に「映画監督 加藤泰」の大きな白文字が躍っている。何を隠そう、実はこれがどうしても欲しくて、わざわざフィルムセンターまで出向いたのだ。冒頭に「富司純子が語る加藤泰映画の魅力」と題されたインタヴューが掲載されている。これを読まずにいられようか。
聴き手の轟夕起夫さんの巧みなリードに、藤純子(と書かないと気分が出ない)が思いのたけを率直に吐露している。最初に出演した《車夫遊侠伝 喧嘩辰》で「
ワンカットワンカットを大切に、加藤さんは時間をおかけになって撮られる方でした。本番までのリハーサルが、とても長かった。それからローアングルがお好きでこだわりがあって」と回想したあと、堺の町中でのロケで、アスファルトの公道に一日がかりで穴を掘ってキャメラを据える話になる。「
『これを撮りたい』となったら監督は、がんと動かない(笑)」。
《幕末残酷物語》の撮影初日、トップスター大川橋蔵がスタジオに登場したときは驚きだった。「
新機軸にチャレンジするお気持ちがあったのでしょう、あの綺麗な橋蔵さんがびっくりするほど汚れた扮装で現場に現れた。その挑戦する気持ちを加藤監督も汲んで、『なんとか新しい橋蔵さんを!』と取り組まれた映画です。あんなにも凄惨でリアルな集団劇、殺伐とした新選組像はそれまでなかったと思いますね。わたし自身、衝撃を受けました」と述懐する。
そして数年後、自らも東映を背負って立つ看板女優として《緋牡丹博徒 花札勝負》で彼女は監督に再会する。「
リアル志向なのも相変わらずで、アフレコを嫌い、シンクロ(同時録音)にこだわられる。『音に匂いがするんだ』とおっしゃっていましたね。でもスタッフは本当に大変。名古屋ロケの狭い路地での撮影、午後3時になったら近くのお風呂屋さんが開いたのか、桶の音が聴こえてきて、すかさず『止めてこーい』って(笑)」。
いずれのエピソードも、これまで助監督やスタッフの回想のなかでも明かされた逸話だが、それが藤純子の口からじかに語られると感慨もまた一入である。
こんな凄いインタヴューがタダで読めてしまって本当に良いのだろうか。こうなったら今回の特集上映に足繁く通うしかなさそうだ。