どうやら悪い予感が的中したらしい。これが民意というものなのかと驚き呆れるばかりである。だが落胆してばかりもいられない。こういうときにこそ耳を傾けるべき音楽で、まずは心を平静に保とう。万事はそれからだ。
"Zhu Xiao-Mei -- Domenico Scarlatti: 17 sonates"
スカルラッティ: ソナタ集
■ K 531
■ K 98
■ K 124
■ K 125
■ K 87
■ K 27
■ K 533
■ K 32
■ K 141
■ K 142
■ K 25
■ K 69
■ K 481
■ K 386
■ K 128
■ K 39
■ K 113
シューベルト: アレグレット ハ短調*
ピアノ/朱曉玫 Zhu Xiao-Mei (ジュ・シャオメイ/しゅ ぎょうまい)
1995年11月15日、プラハ音楽院マルチヌー楽堂(実況)
1994年1月14日、パリ、ラディオ・フランス*
INA mémoire vive 262022 (1995)
→アルバム・カヴァードメニコ・スカルラッティのソナタをピアノで聴きたいと希うのは時代錯誤的な振舞かと躊躇しつつ、ミニチュア・サイズの珠玉の小品たちにそこはかとなく漂う哀歓を掬いあげるのはやはり近代楽器の鍵盤なのだともつくづく思う。
ただしピアニストによほどの洞察と閃きが備わらないと、スカルラッティの仄かに明滅する情感は描けない。ごく少数の者のみに参入が許された聖域なのである。ピアニストが、ではなく、スカルラッティの音楽がピアニストを選ぶのだ。
往時のクララ・ハスキルやマルセル・メイエールのように、朱曉玫(簡体字では
朱晓玫)もまた、天与の才を授かってスカルラッティを弾く資格を得た数少ないピアニストのひとりなのだ。どうしてそうなったのか?
ライナーノーツは、1949年生まれの彼女が故国の文化大革命に遭遇し、辺境の地に下放され西洋音楽から切り離されて過酷な青春期を過ごしたあと、アイザック・スターンの導きで渡米して苦学しながらピアノを学び、フランスで具眼の人々に才能を見出された経緯を手短に記す。この筆舌に尽くせぬ前半生のなかで、長い時間かけて醸成された何かが、彼女に歓びと哀しみとが交錯する稀有なスカルラッティを弾かせるのだろう。いちどきに収録された実況録音とは思えぬほどの完成度だ。