三つ抱えている註文原稿のうち一つがようやく仕上がる。今日が締切なのだから偉くもなんともない。そもそも題材選びで躓いて、あれこれ苦しみぬいた揚句の果ての脱稿なのだ。短いのに苦しさは長文と変わらないのは非力のせいだ。いやはや。
一息ついて女声リサイタルが聴きたくなる。ずうっと以前から架蔵し、愛聴すらしているのに何故かレヴューが後回しになった一枚を。
"Virgins, Vixens & Viragos -- Susan Graham"
ヘンリー・パーセル:
祝福された乙女の忠告
エクトール・ベルリオーズ:
オフィーリアの死
☆
《ミニョンの歌》六題
フランツ・シューベルト:
ミニョンの歌「話しかけないで」
ローベルト・シューマン:
私をこのまま装わせて
フランツ・リスト:
ミニョンの歌
アンリ・デュパルク:
ミニョンのロマンス
ピョートル・チャイコフスキー:
ただ憧れを知る者のみが
フーゴー・ヴォルフ:
ミニョン
☆
ジョゼフ・ホロヴィッツ:
マクベス夫人
フランシス・プーランク:
軽はずみな婚約
■ アンドレの女
■ 叢で
■ 飛び立つ
■ 私の屍は手袋のように柔らか
■ ヴァイオリン
■ 花々
☆
コール・ポーター:
お医者さん
ヴァ―ノン・デューク:
遙か昔
フランシス・プーランク:
愛の小径
スティーヴン・ソンドハイム:
タカレンボ・ラ・トゥンベ・デル・フエーゴ・サンタ・マリパス・サタテカス・ラ・フンタ・デル・ソル・イ・クルスの男の子
メゾソプラノ/スーザン・グレアム
ピアノ/マルコム・マーティノー2012年7月6~8日、モンマス、ワイアストーン楽堂
Onyx ONYX 4105 (2012)
→アルバム・カヴァーいやはや、アルバムのタイトルからして難物だ、どう訳そうか。意味からすると「生娘、悪女、喧しい女」あたりだろうが、それでは Virgins, Vixens, Viragos と頭韻を踏んだ原題の妙味が伝わらない。「清純女、性悪女、しゃべくり女」か「清らか女、こわもて女、かしまし女」くらいでご勘弁を願おう。
つまりこのアルバムは、古今の歌曲に謳われ/唄われた女性の諸相──標題に即するならば三態──をば実例を挙げながら辿っていく、さらに云うならば一人の女性が「生娘」から「悪女」へ、そして「口喧しい女」へと変転していくビル
ドゥングスロマンが基本的なコンセプトなのかもしれない。
あるいはむしろ、もっと気楽に、歌のなかには多種多様な女性がいるのよ、それを私はただ演じ分けただけ、とグレアム嬢はさらり言ってのけるかもしれない。
そういうわけで、パーセルによる
聖処女マリア、シェイクスピア/ベルリオーズの
オフィーリア、そしてゲーテが夢想し、あまた作曲家たちが競作した薄幸の野生娘
ミニョン。このあたりが清純無垢な生娘の似姿だろう。バロック期からロマン派へ、英・仏・独・露を易々と操るヴァーサタイルな才能には、彼女の過去のアルバム群で承知してはいたが、改めて脱帽する。申し分のない巧さだ。
このあとの
マクベス夫人はまさしく悪女の代表格だろうが、シェイクスピアの科白そのままに付曲しながらもジョゼフ・ホロヴィッツ(1926生)が浮かび上がらせるのは現代オペラの登場人物さながらリアルで生々しい。続くプーランクの歌曲集では、六曲のほの昏い小唄の彼方に、それらの作詞者
ルイーズ・ド・ヴィルモランの恋多き人生を幻視するかのよう。彼女もまた悪女だったのか。
ここでアルバムはがらり様相を転じ、とても可笑しな、または胸に沁みる「女歌」が繰り出される。ここが Viragos のセクションなのだろうか。まさかね。
まずコール・ポーターが書いて
ガートルード・ローレンスが創唱したミュージカル "Nymph Errant"(《よろめくニンフ》とでも)から、底抜けに愉快な「ザ・フィジシャン」。グレアム嬢はクラシカルな技芸を駆使して余裕綽々と唄う。そのあとのヴァ―ノン・デューク「エイジズ・アゴー」は初めて聴いたが、しみじみ佳い曲。"Time Remembered"(1957)なるコメディ(ジャン・アヌイ原作)の挿入歌だそうだ。これに劣らず心に響くプーランクの小唄「レ・シュマン・ド・ラムール」も芝居の挿入歌(これまたジャン・アヌイ作《レオカディア》1940)。言わずと知れた
イヴォンヌ・プランタンの持ち歌だ。何を隠そう、《レオカディア》は "Time Remembered" の原作なのである!
そして大団円は、若きソンドハイムの愉快な小唄「タカレンボ・ラ・トゥンベ・デル・フエーゴ・サンタ・マリパス・サタテカス・ラ・フンタ・デル・ソル・イ・クルスの男の子 The Boy from Tacarembo La Tumbe del Fuego Santa Malipas Zatatecas La Junta del Sol y Cruz」("The Mad Show" 1966)。一聴すぐわかるとおり、これはかの「イパネマの娘」のパロディ、もしくはアンサー・ソングなのである。ところがイパネマ出身の少女に対し、この歌の主役たる少年は寿限無さながら長大なラテン名をもつ村の出なのだ。爆笑である。
溜息まじりのグレアム嬢は「明日あの子はウェールズに引っ越すそうな。住所はランヴァイル・プルグウィンギル・ゴゲリフウィルンドロブル・ランティシリオゴゴゴホ Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch なの」と息も絶え絶えに歌い終える。ちなみにこの地名は実在する由(
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