七月になった途端、公園の木々で蝉が鳴き出した。あまりの暑さに悲鳴をあげて、というのは蝉ではなく、家人と小生なのだが、八百屋で今年初めての西瓜を買い求めてきた。そんな日に届いたのがこの新譜である。生誕百五十年に相応しい注目のサティ・アルバム。これで寝苦しい熱帯夜が凌げるだろうか。
"Hannigan - De Leeuw - Satie"
サティ:
三つの歌 (詞/コンタミーヌ・ド・ラトゥール)
■ 天使たち
■ 悲歌
■ シルヴィ
別の三つの歌
■ 歌 (詞/コンタミーヌ・ド・ラトゥール)
■ 中世の歌 (詞/カテュール・マンデス)
■ 花々 (詞/コンタミーヌ・ド・ラトゥール)
頌歌 (詞/エリック・サティ)
交響的ドラマ《ソクラテス》(訳詞/ヴィクトール・クーザン)
■ ソクラテスの肖像
■ イリッソス河畔にて
■ ソクラテスの死
ソプラノ/バーバラ・ハニガン
ピアノ/レインベルト・デ・レーウ2015年9月、ヒルフェルスム、ファン・デ・オムループ音楽センター
Winter & Winter 910 234-2 (2016)
→アルバム・カヴァーカナダのソプラノ歌手
バーバラ・ハニガン Barbara Hannigan は現代オペラと果敢に挑戦する美貌の歌姫。ベルクの《ルル》(
→これ)を皮切りに、リゲティの《グラン・マカブル》(
→これ)、ジョージ・ベンジャミンの《リトゥン・オン・スキン》(
→これ)など、至難な問題作に取り組んで評判を呼んでいる。今現在もハニガンはエクス=アン=プロヴァンス音楽祭で《ペレアスとメリザンド》の舞台に立っているはずだ。
こういうひとが取り組むサティなので、さぞかし鋭く尖った歌唱を・・・とこちらも覚悟して身構えていたら、あに図らんや、実にひっそりと自然に、小声で語りかけるように唄い始めたのでちょっと拍子抜けしてしまう。
それはともかく、このアルバムはすこぶる魅惑的だ。うっとり夢見心地に誘う印象派風「三つの歌曲」、キャバレーの雰囲気が色濃いもうひとつの「三つの歌曲」、薔薇十字会の神秘的な雰囲気の漂う「頌歌」、そして静謐な感動をたたえた畢生の傑作《ソクラテス》。考え抜かれた選曲からサティの全生涯が浮かび上がる。
いうまでもなく当アルバムの白眉は、あらゆる虚飾と感傷性を排して淡々と歌われる《ソクラテス》だろう。サティはこれを作曲中、願をかけて白い色の食材しか口にしなかった(!)というが、ハニガンの抑制され透徹した歌声は、巧緻を尽くした老練なデ・レーヴのピアノと相俟って、サティが到達した「純白で穢れのない」至高の境地をまざまざと示す。
数名のソプラノを揃え、オーケストラ伴奏で歌われる《ソクラテス》もいいが、この曲はこうして当代屈指の歌い手とピアノ弾きとが二人きりで紡いだとき、その奇蹟のような純粋性を最もよく顕すのだと思い知らされた。繰り返し味わいたくなるアルバム。サティ記念年を寿ぐ、またとない捧げものだろう。