総じて閑暇をのんびり過ごす小生にしては珍しく、原稿の依頼が三本も重なっている。どれも短いながら曲者で、いろいろ考え込んでしまう。そういう繁忙期(というほど大袈裟ではないが)に映画を観に出かけるのは背徳的な歓びがこみ上げる。昨夕は鍾愛の
サッシャ・ギトリ監督作品《君の目をくれ
Donne-moi tes yeux》(1943)を観るため飯田橋の日仏学院まで足を運んだ。ギトリと(その四人目の妻)ジュヌヴィエーヴの共演作。字幕付き上演なのがありがたい。科白の量が半端でないギトリ作品を無字幕で観ると全くお手上げなのである。期待したほど心ときめく秀作ではなく、どちらかというと陰鬱な翳りを帯びた映画だった。少し前に同じ場所で上映された三本、《夢を見ましょう》(1936)、《デジレ》(1937)、《カドリーユ》(1938)がいずれ劣らず軽妙洒脱、才気煥発、軽佻浮薄な大傑作だったのと好対照をなす。いかにも独軍占領下のパリで撮られたフィルムらしいといえようか。今回の上映は「恋愛のディスクール 映画と愛をめぐる断章」なる連続上映の一齣だそうだが、"Donne-moi tes yeux" を「あなたの目になりたい」と超訳するセンスがどうにも気に喰わない。そもそも配布チラシにこれを「ギトリ唯一のドイツ占領時代の作品」とする記述は間違いだし、《夢を見ましょう》で共演した喜劇役者レーミュ(Raimu)を「ライム」と誤記するに至っては噴飯物。主催側の莫迦さ加減に目を覆いたくなる。無知蒙昧とは愛と敬意の欠如の産物なのだ。