しばらく間が空いてしまったが、まだまだ続く53CDs「デッカ・サウンド~モノ・イヤーズ」から貴重な覆刻盤を紹介するシリーズ。今回は歴史的に価値が高く、とびきり稀少な「とっておきの一枚」である。無論これが正規の初CD化。遙か昔にLP(
→米London盤)で耳にして以来だから、聴く前から心が逸る。
"CD18 DENZLER ー Honegger, Beck, Reichel"
アルテュール・オネゲル:
交響曲 第三番《典礼風》*
歓びの歌*
コンラート・ベック:
ヴィオラ協奏曲**
ベルナール・レーシェル:
ピアノ小協奏曲***
ローベルト・デンツラー指揮
パリ音楽院管弦楽団*
ヴィオラ/ヴァルター・ケーギ**
ピアノ/クリスティアーヌ・モンタンドン***
ジャン・メラン指揮**
エドモン・アッピア指揮***
スイス・ロマンド管弦楽団1955年6月15~17日、パリ、ラ・メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテ*
1952年4月、ジュネーヴ、ヴィクトリア・ホール** **
Decca 478 7964 (2015)
→元LPアルバム・カヴァー(オネゲル)
→元LPアルバム・カヴァー(ベック、ライヒェル)
オネゲルの第三交響曲は1946年8月17日、チューリヒで
シャルル・ミュンシュの指揮で世界初演され、彼に献呈された。オネゲルの熱烈な支持者だったミュンシュはこのあとパリ初演、英国初演(BBC響)、米国初演(NYフィル)も敢行したが、どういうわけか正規のスタジオ録音を残す機会がなかった。ミュンシュと並んでオネゲルの理解者だった
エルネスト・アンセルメも
パウル・ザッハーも、実演ではたびたび取り上げながら、商業録音を残したのは遙か後年、ともに最晩年になってからだった。20世紀を代表する交響曲の傑作と讃えられながら、《典礼風》交響曲は永らく「巨匠による決定盤」に恵まれぬままだったのである。
この交響曲の世界初録音は、意外にも作曲者自身のタクトの下、1947年になされている(オーケストラ名は不詳)。当時はディスク大賞を授かるなど相応に評価されたらしいが、なにぶん戦後間もない時期とあって録音状態が芳しくなく、自作自演の歴史的価値はともかく鑑賞の対象とはなりがたい。
最初のLP録音は思いがけなくドイツで行われた。
ヴァルター・シュトシェック(Walter Stoschek)なる指揮者が1953年にドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した(おそらく放送録音による)音源である(米Urania)。ドレスデンの州立歌劇場(ゼンパーオーパー)で活躍していたオペラ指揮者がなぜオネゲルを振ったのか、そのあたりの事情は全く不明だが、広島や長崎と同様、戦禍で廃墟と化したドレスデンは、この曲の初LPが録音されるのに相応しい場所と云えなくもない。演奏は意外にも綻びがなく堅実そのものである。
さて、それに続く史上三番目の《典礼風》交響曲のレコードがここに覆刻なった1955年6月のデンツラー指揮によるスタジオ録音なのだ。
ほとんどの聴き手にとって全く耳馴染のない指揮者だろうが、そもそもデッカ社がシャルル・ミュンシュ(1949年までは契約があった)やエルネスト・アンセルメ(云うまでもなく同社の看板指揮者)を起用せず、彼らを脇に退ける形でこのデンツラー某を起用した理由が判然としない。しかもスイスからわざわざ呼び寄せ、パリのオーケストラを振らせているのである。なんでこうなるのか?
ローベルト・デンツラー Robert Denzler(1892~1972)の存在は今やほぼ忘却の彼方だが、実は20世紀オペラ史を語るうえで、彼の名は欠かすことができない。永くチューリヒ歌劇場の指揮者(1915~27、1934~47)を務めたオペラ畑の専門家として、デンツラーはベルクの《ルル》(未完の二幕版)とヒンデミットの《画家マティス》の世界初演の舞台を指揮しているのである! それぞれ1937年と38年、場所は彼の本拠地チューリヒ歌劇場でのことだ。
このほか彼はオトマール・シェックのオペラ《エルヴィンとエルミーレ》《ドン・ラヌード》の初演も手がけ、ショスタコーヴィチの《ムツェンスクのマクベス夫人》のスイス初演も振っている。現代オペラの旗手だったのだ。
それにしても《ルル》と《画家マティス》の世界初演の指揮者とはちょっと驚きである。ただし、そうなったのはオペラ指揮者としての彼の実力というよりも、これらの作曲家がナチス政権から「退廃音楽家」として忌避され、新作オペラの上演が不可能になったため、それに代わる次善の初演地としてスイスのドイツ語圏にあるチューリヒに白羽の矢が立てられたという裏事情が奏功していた。いわば瓢箪から駒がでるような塩梅で、デンツラーにお鉢が回ってきたのであろう。
スイス人ながらドイツ楽壇との結びつきが強く、ナチス政権下のベルリンでも活躍したところから、第二次大戦後は対独協力者として指弾され、チューリヒ歌劇場の職を追われた時期もあったが、やがて許されて内外での指揮活動を再開。1955年にパリでデッカ社がオネゲルの《典礼風》交響曲の録音にデンツラーを抜擢したのは、戦後の彼が汚名を挽回し、晴れて国際的な活躍を再開した証しである。
結果は上乗だった。それも驚くほどに見事な出来映えだ。デンツラーがそれまでオネゲル作品にどれほど親炙し、作曲家とどのような関係だったのか詳らかにしないが(定評あるHalbreichのオネゲル評伝にもほとんど記述がない)、彼が指揮する第三交響曲はどこにも破綻のない、確信に満ちた揺るぎない解釈だ。ミュンシュのような痛烈な切迫感や畳みかけるようなアッチェレランドこそないが、速すぎないテンポを保ちながら、じりじりと息の長い起伏を築き上げる。その入念綿密で構えの大きい設計は永年オペラ劇場のピットで体得したものかもしれない。端倪すべからざるオネゲル演奏と評すべきだろう。
これでステレオ収録だったら、という望蜀の嘆もなくはないが、デッカ社の技術はオーケストラ表現の細部を余さず瑞々しく捉えており、1955年6月当時のモノーラル録音の最高水準を示す。パリ音楽院管弦楽団のアンサンブルは極上ではないものの、デンツラーの統率の下で卓越した表現力を発揮している。スイスの楽団(例えばスイス・ロマンド)ではこうはいかなかったはずだ。
作曲者自身がはたしてこのデンツラーの解釈を耳にする機会があったか(録音年の11月27日オネゲルは歿した)は詳らかでない。パリ音楽院管弦楽団はこの半年後の1955年11月、
ジョルジュ・ツィピーヌ指揮で再度この《典礼風》交響曲の録音に挑んでいる(仏Columbia)。オネゲル自身もそのセッションに監修者として立ち会ったが、これは作曲家が人前に姿を現した最後の機会だったそうだ。
ステレオ時代に入ると、若き
セルジュ・ボドがチェコ・フィルハーモニーを指揮した共感溢れる《典礼風》が一世を風靡した(1960録音、ボドは史上初のオネゲル交響曲全集を完成している)一時期を経て、
エヴゲニー・ムラヴィンスキーの峻厳きわまる実況録音(1965)、死を目前に
エルネスト・アンセルメが録音した遺作LP(1968)、絶頂期の
ヘルベルト・フォン・カラヤン&ベルリン・フィルが満を持して臨んだ録音(1969)など、巨匠たちによる決定的な凄演が相次いで世に出ると、もはやモノーラル期のデンツラー盤を話題にする者はいなくなった。録音から六十年を経た2015年、この覆刻CDがひっそりと世に出るまでは・・・。