現今はいざ知らず、
ソール・スタインバーグの名はかつて日本でもよく知られていた。当代屈指のイラストレーターとして、彼は1940年代半ばから70年代まで永く『ニューヨーカー』誌の表紙絵を描いており、その流暢な線画はベン・シャーンやジェイムズ・サーバーのそれと並んで、1950年代から60年代にかけて広く愛好された。横山泰三、久里洋二、柳原良平、和田誠らがそのスタイルから強い影響を受けたことは、初期の彼らが培った作風から自ずと明らかだろう。
1970年にスタインバーグ作品集の日本語版『新しい世界』(みすず書房
→これ)が瀧口修造(!)の装幀とエッセイ付きで刊行されたのも、わが国での彼の名声の高さを裏書きしていようが、なんとも皮肉なことに、この頃からスタインバーグ人気に翳りが生じ、彼の仕事を目にする機会はめっきり減少した。小生が蒐書を始めた70年代中頃には、すでに何やら「過去の人」めいた印象が彼につきまとっていた(事情はベン・シャーンとよく似ている)。
スタインバーグが描いた《動物の謝肉祭》のアルバム・カヴァー(
→これ)を棚から取り出して矯めつ眇めつ眺めながら、果たして彼が手がけたレコード・ジャケットが他にあったかどうか、つらつら考えてみるのだが、悲しいかな、思い出せたのは米コロンビアのこのアルバム・カヴァー(
→これ)ただ一点のみ。ウォルトンの《ファサード》とイベールの《嬉遊曲》を表裏に組み合わせた好LPだが、今や知る人はほとんどおるまい。ただし、これとてもスタインバーグの装画は収録曲の内容と全く関連せず、既存のイラストレーション(
→これ、1945年に出た最初の作品集 "All in Line" 所収)そのままの転用なのが残念である。
スタインバーグのカリカチュア素描には楽器奏者を題材としたものが少なくなく(例えば
→これ)、五線譜の上に描いた戯画まである(
→これ、
→これ)というのに、アルバム・カヴァーになった例が稀なのはどうしてなのか。ほかに小生が架蔵するなかでは、メノッティの歌劇《電話》の楽譜の表紙絵(
→これ)が、彼と実際の音楽作品との数少ない接点である。
・・・そんな由なし事を反芻しつつ、近所の書店で新刊雑誌を立ち読みしていたら、開いた頁にいきなりスタインバーグの戯画が出現したのに息を呑んだ。偶然の一致といえばそれまでだが、このコインシデンスはちょっと出来過ぎだろう。
柴田元幸責任編集
MONKEY モンキー
Vol. 9 Summer/Fall 2016
スイッチ・パブリッシング
2016
前々号でカーソン・マッカラーズが取り上げられたので気に留めていたこの雑誌、本号は「短篇小説のつくり方」と銘打たれてグレイス・ペイリーという未読の米国女性作家の短篇とエッセイが村上春樹邦訳で六篇も載っている。続いて「短篇小説のつくり方」なる村上春樹インタヴューも(聞き手/柴田元幸)。
だが小生が開いた頁はそれらではなく、次の「超短篇」と題されたセクション。イタロ・カルヴィーノ、ロベルト・ヴァイザー、ジョイス・キャロル・オーツ、アイザック・シンガーらのショート・ショートがずらり並ぶ。そこにどういうわけかソール・スタインバーグのイラストレーションが一頁大で十二点(各短篇の冒頭に)配されていたのだ。どうしてスタインバーグなのか? その理由はどこにも記されていないが、おおかた雑誌の責任編集者の柴田氏の好みなのであろうか。吃驚したが嬉しい。歓びながらも仰天した。