前項に引き続き、「デッカ・サウンド~モノ・イヤーズ」なる53CDsのボックス・セットから、たまたまバラで入手できた数枚を聴くシリーズの第二弾。
やはり小生としてはプロコフィエフを外せないだろう。勉強になるからだ。
"CD 9 BOULT ー Tchaikovsky, Prokofiev"
ピョートル・チャイコフスキー:
組曲 第三番*
セルゲイ・プロコフィエフ:
組曲《三つのオレンジへの恋》**
組曲《キジェー中尉》***
エイドリアン・ボールト卿指揮
パリ音楽院管弦楽団* **
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団**1955年6月7~9日*、6月9日***、パリ、ラ・メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテ
1955年6月27~29日、ロンドン、キングズウェイ・ホール**
Decca 478 7955 (2015)
→元LPアルバム・カヴァー(チャイコフスキー)
→元LPアルバム・カヴァー(プロコフィエフ)
"CD 49 TUXEN ー Prokofiev, Sibelius"
セルゲイ・プロコフィエフ:
交響曲 第五番*
ジャン・シベリウス:
交響曲 第五番**
エリク・トゥクセン指揮
デンマーク国立放送交響楽団
ピアノ/ハンス・ペーダー・アセ*1952年10月9日*、6月**、コペンハーゲン、デンマーク放送楽堂
Decca 478 7995 (2015)
→元LPアルバム・カヴァー(プロコフィエフ)
→元LPアルバム・カヴァー(シベリウス)
エイドリアン・ボールトといえばまず英国音楽の使徒、次に留学先のドイツ古典音楽の信奉者というのが通り相場だろうが、彼がロシア音楽も得意にしてたって知ってました? 寡聞にして小生は知らなんだ。実はグリンカからショスタコーヴィチまで万遍なく振り、レコードも実はいろいろある。チャイコフスキーではこの第三組曲を十八番にしていたらしく、1974年にはロンドン・フィルとステレオ録音も残している。たしかにこれは堂々たる名演であり、ボールトがチャイコフスキーの語法に通暁していたことを物語る。とりわけ終盤の変奏曲の巧みな盛り上げ方といったら! 音楽が完全に手の内に入っている。
そのボールト卿はプロコフィエフ作品もしばしば取り上げていた由。1936年には同じコンサートで彼と分担して指揮台に立ったことすらあった。だからだろうか、《三オレンジ》も《キジェー》も申し分のない秀演だ。しかも思いのほか機敏かつ雄弁、複雑な変拍子や不協和音も難なくこなし、プロコフィエフの音楽をよく理解していたことを窺わせる。端倪すべからざるエイドリアン卿!
もう一枚の
エリク・トゥクセン Erik Tuxen(1902~1957)はデンマークの指揮者。カール・ニルセンの交響曲を各地で振り、レコードにも収めたほか、映画音楽の編曲者としても仕事をしたという御仁。ただし五十五歳の若さで病歿してしまい、ステレオ録音が残せなかったのは悔やまれる。英デッカ社は1946年から54年にかけてコペンハーゲンに最新の機材を持ち込んで、主として北欧音楽のレパートリーを録音したが、そのなかにトゥクセン指揮のシベリウスやニルセンの交響曲が含まれていたのはせめてもの幸いだ。
そのトゥクセンがプロコフィエフの第五交響曲を録音していたのを知る人はどれだけいようか。セッションの日付は1952年10月9日(小生が生まれて四日後だ!)、作曲者がまだ存命中の録音であることに注目されたい。これ以前に同曲を録音した指揮者といえばクセヴィーツキー、ロジンスキ位しか思いつかない。ひょっとしてこのトゥクセン盤はヨーロッパで最初の録音ではないのか?
一聴して驚嘆した。トゥクセンがどれほどプロコフィエフの音楽に親炙していたか詳らかでないが、これは実に堂々と造形が大きく、しかも細部までよく考え抜かれた秀逸な演奏である。ほとんど演奏歴のない1952年の時点で、ここまで深く掘り下げた解釈を披歴したトゥクセンという指揮者、並みの才能ではないとみた。全体としてアポロン的な明澄さが支配的だが、ほの暗い悲劇の影が随所につきまとい、この交響曲の一筋縄ではいかない複雑な性格を浮き彫りにするあたりは、十年ほどのちのパウル・クレツキの名解釈を先取りするものといえよう。
デンマークのオーケストラの技量は贔屓目にみても二流の上といったところか。馴れない現代音楽(世界初演のわずか七年後だ)に苦闘し、ほうぼうで破綻を来しているが、総じてトゥクセンの意をよく体現した誠実な演奏に仕上がっている。プロコフィエフ音盤史上、決して埋もれさせてはならない一枚といえよう。
これらの録音のうちで、ボールトのチャイコフスキー、トゥクセンのシベリウスはマイナーレーベルが板起こしで覆刻CDを出していたと記憶するが、プロコフィエフに関してはボールト、トゥクセンともに今回が初CD化だろう。プロコフィエフ解釈の未知の鉱脈を探るうえで見逃せない必携音源といえよう。