三十年ほど続いたCD時代は終焉を迎えつつある。少なくともクラシカル音楽に関してはそうで、大手レコード会社からは碌な新譜が出なくなって久しい。もはや瀕死の状態となったカンパニーは合併を繰り返しながら由緒あるレーベルを廃絶し、過去の音源を数十枚単位で箱に詰め、投げ売り同然のやり方で格安販売している。「持ってけ泥棒」と云わんばかりの、末期的症状というほかない。
ところが皮肉なことに、こうしたボックス・セットにはしばしば、これまで一度たりともCDで出たことのない稀少な(時には未発表の)音源がこっそり忍ばせているものだからたちが悪い。すでに架蔵している音源と抱き合わせで、金額的にも空間的にも嵩張る箱物として「福袋」よろしく買わされるのでは堪ったものでない。永年にわたる熱心な愛好家をこれほど虚仮にしたやり方はあるまい。悪辣きわまる「抱き合わせ商法」そのものなのだ。
昨年のこと、ユニヴァーサル傘下のデッカ(Decca Music Group Limited)から、五十三枚ものCDを箱に詰めた「デッカ・サウンド~モノ・イヤーズ」なるボックス・セット(
→これ)が安価で出た。副題に "1944ー1956" とあるように、これは英国を本拠とする同社がSP末期からLP初期にかけて意欲的に製作したモノーラル録音から、重要な歴史的音源を集成した箱物である。
誰もが知るように、過去の音源のCD化はさまざまな機会になされてきたものの、リマスタリングされ覆刻が出たものの大半はステレオ録音であり、1950年代前半までのモノーラル音源は、よほど著名な演奏家の録音でない限り、芸術的な価値の如何には関わらず、あたかも存在しなかったかの如く忘却され、等し並みに未覆刻のままテープ倉庫に空しく死蔵されたのである。
老舗デッカ社とて例外ではなく、事実このボックスに集められた演奏には、LP時代から半世紀もの間ただの一度も覆刻されなかった「幻の音源」が少なからず含まれているのだ。だからといって、すでに架蔵する既出音源も多いわけで、それらとの重複を覚悟でボックスを手にするのもなんだか業腹である。いくら廉価セットとはいえ、価格的にも物量的にも嵩張るボックスを買い込んでいては身がもたない。
つい最近、この箱物のうち飛び切り貴重な「垂涎の的」の何枚かをバラで手にする機会を得た。なかには存在すら知らなかった音源もあって、このところモノーラル録音ばかり続けざまに聴いている。そこで「Decca Sound 落穂拾い」と称して、これから数回にわたり、それら稀少な歴史的音源を紹介していきたい。今日はその第一回として指揮者アンソニー・コリンズの至芸を紹介する。
"CD 14 COLLINS ー Walton, Lambert"ウィリアム・ウォルトン:
《ファサード》*
組曲《ファサード》**
コンスタント・ランバート:
バレエ組曲《ホロスコープ》***
朗読/イーディス・シットウェル、ピーター・ピアーズ*
アンソニー・コリンズ指揮
イングリッシュ・オペラ・グループ・アンサンブル*
ロバート・アーヴィング指揮
ロンドン交響楽団** ***1954年7月7日~8月11日、ロンドン、ウェスト・ハムステッド、デッカ・スタジオ*
1953年3月10~27日**、2月26,27日***、ロンドン、キングズウェイ・ホール
Decca 478 7946 (2015)
→元LPアルバム・カヴァー(コリンズ)
→元LPアルバム・カヴァー(アーヴィング)
"CD 15 COLLINS ー Elgar, Vaugan Williams"
エドワード・エルガー:
序奏とアレグロ*
弦楽セレナード*
交響的習作《フォールスタッフ》**
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ:
トマス・タリスの主題による幻想曲*
グリーンスリーヴズによる幻想曲 (レイフ・グリーヴズ編)*
アンソニー・コリンズ指揮
ロンドン新交響楽団メンバー*
ロンドン交響楽団**1952年4月1日、ロンドン、ウェスト・ハムステッド、デッカ・スタジオ*
1954年2月22~25日、ロンドン、キングズウェイ・ホール**
Decca 478 7961 (2015)
→元LPアルバム・カヴァー→元LPアルバム・カヴァー(フォールスタッフ)
アンソニー・コリンズ Anthony Collins(1893~1963)は印象の希薄な指揮者だ。英国生まれながら米国でも長く活動し、コンサートとオペラの指揮のほか、英米の映画音楽を数多く手がけた作曲家でもある。ただし彼が担当したのは映画史に残る名作ではなかった(フォン・スタンバーグがニコラス・レイと共同監督した《マカオ》、ブニュエルがメキシコで撮った《ロビンソン・クルーソー》が僅かに知られる程度)から、この分野でも(少なくも日本では)甚だ影が薄い。
1960年代まで活躍したのに、どういうわけかステレオ録音を残さなかったから、数多く残したレコードも顧みられることが少ない。今では英国で初めてシベリウスの交響曲の全曲録音を手がけた指揮者というのが大方のコリンズ像なのではないか。小生は彼がデッカに残したエルガーとディーリアスの録音がひどく気に入っていて、LP時代には繰り返し愛聴した(例えば
→エルガー《フォールスタッフ》、
→ディーリアス《夏の歌》ほか)。
それでも英本国でのコリンズ人気は根強いようで、これらの覆刻CDに含まれる英国音楽では、原詩の作者シットウェル女史と名歌手ピアーズの朗読を伴う《ファサード》はDeccaから何度か正規に再発CD(例えば
→これ)が出ているし、二枚目のエルガーとVWも、板起こし専門レーベル Beulah からすべて覆刻CDが出ている。その意味では些か新味を欠くのだが、それでもさすが厳重に保管されたマスターテープからの覆刻は音がとても明晰で豊麗。高音がややキンキンどぎついのは英Decca録音の特色なのだから仕方あるまい。
久しぶりに聴くコリンズの指揮はさすがの旨さである。どの音楽も運びが実に巧みで無理がなく、勘所を心得た演奏には聴き手を捉えて放さぬ魅力がある。とりわけエルガーには格別な親和性があったらしく、《序奏とアレグロ》も《セレナード》も、歴代の名指揮者たちの解釈と比べて遜色ない出来映えだ。
だがなんといっても《フォールスタッフ》だ。野卑と高雅がないまぜになったエルガーならではの交響詩(正しくは Symphonic Study だが)の、これは理想的な具現化ではないだろうか。もっとも小生はこのコリンズの指揮盤がわが出逢いの演奏なので、単に刷り込みなのかもしれないが。
ウォルトンの《ファサード》も、原作者で初演時の朗読者でもあるイーディス・シットウェルが加わった三種の録音(戦前のランバート指揮の抜粋、1949年録音のFrederik Prausnitz指揮盤
→これ、そして1952年の本盤)のうち、やはり最も安心できる演奏だ。因みに、フィルアップされたロバート・アーヴィング指揮の組曲版(アシュトン振付のバレエ版の音楽)、ランバートのバレエ《ホロスコープ》の音楽はともに初CD覆刻だという。これが聴けるだけでも嬉しい。