映画《ひとりぼっちの青春》は鍾愛おく能わざるフィルムであり、わが原点であり、わが妄執でもある。滅多なことで再見しはしないものの、折に触れてあれこれの場面を思い起こし、脳内再生しては慈しんできた。
2008年にシドニー・ポラック監督の訃報に接したときがまさにそうだったのだが、三年後の2011年(あの大震災の年だ)夏にも似たような機会が巡ってきた。そのとき書き綴った文章を久しぶりに読み返してみた。
小生が《ひとりぼっちの青春 They Shoot Horses, Don't They?》と出逢ったのは全くの偶然である。大学の帰り途中下車して高田馬場パール座に寄り道した。1971年春のことだ。たしかスーパーマーケット脇に小さな入口があり、古めかしい絵看板に《商船テナシチー》の一場面が描かれていた情景がありありと蘇る。
前年たまたま封切で観たイザドラ・ダンカンの伝記映画、ぞっこん惚れ込んでいたヴァネッサ・レッドグレーヴ主演《裸足のイサドラ》を再見しに出向いたのだが、当時のこととて便利な情報誌などなく、新聞の小さな映画上映欄で調べて赴いた。闇雲に出かけたので目指す映画の開始時刻にはまだ間があり、暗闇に立ったまま二本立の片割れの終盤十分間ほどをつい観てしまった。あまりにも陰鬱な場面の連続に、わけもわからずただ「一体これはなんの映画だ?」と訝しく思った。それが《ひとりぼっちの青春》だったのである。
銭はなくとも暇があるのが学生の特権だ。お目当ての映画を見終わってもそのまま居残り、もう一本を頭から見始めた途端、これはただならぬ映画だと直覚した。
それからきっかり四十年後の今もなお、この映画が無性に愛おしい。
ではまた観たいかといえばそうでもない。スクリーンでもう十数回は観ているし、ホレス・マッコイの原作も熟読し、下宿の壁にポスターを貼り、サントラ盤も手に入れた。いつだったか、大塚名画座にかかった際に全篇テープレコーダーで隠し録りしたことすらあった。好きな映画を自宅で鑑賞する時代がやがて来るとは想像もできなかった。でもその分、一期一会の心境で真剣に画面と対峙する古き良き時代だったともいえる。
永く記憶の奥に封印していたこの映画が否応なく脳裏に甦ったのは2008年5月、旅先の倫敦グリニッジの宿の一室でのことだ。何気なく点けたBBCのTVニューズでシドニー・ポラック監督の訃報に接したのである。
実は今年に入って何度となく《ひとりぼっちの青春》を思い出している。わが四十年の映画体験の「はじめの一歩」に頻りとこだわるのは、もしや人生が終末に差しかかりつつあるのか。それも否定はしないが、より直截的な動機が別にあった。
主役ロバートを演じたマイケル・サラザン Michael Sarrazin が世を去ったのである。4月20日の「シネマトゥデイ映画ニュース」から訃報を引く。映画『ひとりぼっちの青春』でジェーン・フォンダと共演し、英国アカデミー賞新人賞にノミネートされたマイケル・サラザンが亡くなった。70歳だった。
死因はガンで、カナダのモントリオールにある病院で息を引き取ったとマイケルのエージェントはロサンゼルス・タイムズ紙にコメントしている。マイケルは映画『黄金の指』『リーインカーネーション』『激走!5000キロ』などに出演。最近では2002年の映画『フィアー・ドット・コム』に出ていたほか、2008年にはテレビ映画「ザ・クリスマス・クワイア The Christmas Choir」に出演していた。
ピープル誌によると、マイケルは映画『真夜中のカーボーイ』でジョー・バックを演じる予定だったが、ほかの映画会社と契約をしていたため実現されず、ジョン・ヴォイトが起用されたらしい。もしマイケルがジョーを演じていたら映画の歴史も大きく変わっていたかもしれない。
実はその三か月前、やはり《ひとりぼっちの青春》でマラソンダンスに加わった女優スザンナ・ヨーク Susannah York が卒然と去っていた。同じ「シネマトゥデイ映画ニュース」から引く。
1960年代から映画界で活躍した女優、スザンナ・ヨークさんが、骨髄のがんのため死去した。享年72歳。
ヨークさんは1960年に映画デビューし、スウィンギング・ロンドンと呼ばれた時代のイギリス映画界で活躍。映画『トム・ジョーンズの華麗な冒険』や『甘い抱擁』などの作品に出演し、1969年の映画『ひとりぼっちの青春』ではアカデミー賞の最優秀助演女優賞にノミネートされた。この時ヨークさんは、事前に話をもらわずにノミネートされたことに怒ったというエピソードもある。70年代後半からは、『スーパーマン』シリーズへも3作品出演している。
離婚して2人の子どもを持つシングルマザーだったヨークさんは、時にはお金のために役選びをすることもあったそう。ヨークさんの息子で俳優のオーランド・ウェルズは、テレグラフ紙のインタビューで「母はとても謙虚で、全く素晴らしい母親だった。日曜日にお肉を焼き、冬の夕べには暖炉の前に座るのが好きだった。ある意味、とても家庭的な女性だったんだ。彼女を母親に持つことができ、僕と妹は本当に幸せだった」と語っている。
あの映画でスザンナ・ヨークの役どころはブロードウェイからハリウッドに流れてきた売れない女優の卵。皆の前でシェイクスピアの科白をスタイリッシュに誦んじる場面があったが、倫敦の王立演劇学校出身の彼女にとって、あれは素のままの演技だったのだと今ようやく気づく。
《ひとりぼっちの青春》でアカデミー賞を逃した彼女だが、三年後ロバート・アルトマン監督作品《イメージズ》でカンヌ映画祭の主演女優賞に輝いた。その後は舞台を主に最晩年まで活躍していた由。
誰も彼もいつの間にか立ち去ってしまう。それが世の定め。マラソンダンスの舞台にはもう人影もまばらである。
Easy Come, Easy Go ──来るのも早いが、去るのも早い。「悪銭身につかず」の謂いだというが、この成句にはもっと深い含意がありそうだ。あの映画のなかで繰り返し流れたジョニー・グリーン作曲のこの古い戯れ歌が無性に聴きたくなる。
出典/さあ踊れ、ここがアメリカだ (2011年8月31日投稿)
せっかくの機会だから、映画のなかでその "Easy Come, Easy Go" がしっとり歌い奏され、その旋律に合わせて競技者たちが緩やかに踊る──ただし、その間にいくつもの葛藤の火花が散る──場面をお目にかけよう(
→これ)。ジェーン・フォンダはもちろんのこと、スザンナ・ヨークも、マイケル・サラザンも登場する。