このところセーヌ川の氾濫のニュースが連日のように報道され、よそごとながら心を痛めている。1910年以来、一世紀ぶりの大洪水なのだという。最新情報によると水は少しずつ引き始めているというが、まだ予断を許さない状況らしい。
たまたま十日ほど前に六本木のブラスリーで時間をつぶしたとき、徒然なるまま手に取ったパリ情報紙『オヴニー Ovni』4月1日号に、まさにその百年前のセーヌ川氾濫の特集が載っており、そこには「
専門家によると1910年冬にパリジャンが経験したような《Crue centennale/世紀の増水》は、いつ再来しても不思議はないという。ならば、備えあれば憂いなし。 [...]
増水の危険に備えよう」とあり、奇しくも警告がすぐ現実のものとなってしまった(
→ネット上の同記事)。
その『オヴニー』紙にも写真が載っていたが、パリ市内のセーヌ川に架かるアルマ橋の橋脚に据えられたズアーヴ兵(クリミア戦争に従軍したアルジェリア、チュニジアなど植民地出身の仏陸軍歩兵)の石像には、過去の冠水の痕が残り、川の水位がどこまできたかで危険度がわかるバロメーターとなっている由。
ネット上でも下半身がすっかり水没したズアーヴ像の現状(
→これ)が伝えられ、このたびの増水の凄まじさをまざまざと示している。史上最悪という1910年の大洪水時の姿(
→これ)ほどではないとはいえ、事態の深刻さがよくわかる。もっとも、1970年代にアルマ橋が鉄橋に架け替えられた際、石像も一メートルほど嵩上げされたというから、単純な比較は禁物だ。因みに、この像を見舞った歴代の冠水をわかりやすく絵解きした図表(
→これ)もみつけた。
もう十五年ほどパリに無沙汰しているが、市内にはずっと懇意にしている古本屋が何軒かある。店主と店舗の安否がにわかに憂慮されてきた。やはりネット上にあった最新の「パリ市内冠水マップ」(
→これ)を参照すると、浸水地帯は右岸にも左岸にも、予想を遙かに超えて広範囲に及んでいるではないか。
とりあえず、ロシア絵本の蒐書で世話になっている二軒の店主に「ご無事ですか」と安否確認メールを急ぎしたためた。つい一昨日のことだ。もし浸水でもしたら古本屋とその在庫は致命的なダメージを蒙るだろうから。
半日ほどして、左岸のコンデ街(rue de Condé)に立地する書肆から「
わざわざお気遣いありがとう。うちは幸いリュクサンブールの高台なので大丈夫だ」と返信が届いた。気懸かりなのは、右岸のエグゼルマン大通り(boulevard Exelmans)に店を構えるもう一軒のほうだ。上の地図ではその一郭はぎりぎり境界領域に位置しており、ひょっとすると冠水しているかもしれないからだ。案の定、こちらからは梨の礫。いつも間髪を入れず返事を寄越す彼女らしくもない。
やきもきしていたら昨日の夜遅く、やっと返信が届いた。それもパリではなく旅先から。曰く「
メッセージありがとう。今は南仏にいます。ここに海辺の別荘を買ったばかりなの。なんと素晴らしい天候。もう仕事したくなくなるわ。そうそう、パリの私の店はアパルトマンの五階よ。もしリヴィエラにお越しの節は、別荘にもお寄りください」だと。いやはや、気ままなパリジエンヌは災厄を遠く離れて南仏でヴァカンスの真っ只中。わが心配は全くの杞憂だった。小生はカタログ註文のみで、彼女の実店舗を訪れる機会がなく、それで取り越し苦労をしてしまったのだ。