昨日に引き続き、きっかり十年前の拙文を物置の奥から取り出して外気に晒す「虫干し」シリーズの第二回目。気恥ずかしさがないといえば嘘になるが、それでも自分という人間はやっぱりこの文章のなかに歴然と存在していますね。いやはや。
(昨日の続き)
その内容の暗さ故に《ひとりぼっちの青春》は日本の配給会社から継子扱いされ、ロードショー抜き、いきなり二番館でエリザベス・テイラー主演《クレオパトラ》(リヴァイヴァル)との併映(!)という、あまりにも不幸な公開のされ方をした。1970年12月のことだ。ろくに宣伝もされず、プログラム冊子すらつくられなかった。
その後は何度か名画座で再見する機会があったものの、70年代後半にはそれも途絶えてしまう。銀座の並木座で買ったポスターと、苦労して集めた数枚のスチル写真。小生にとってはそれだけがこの映画を偲ぶ手段となった。いつだったか、アメ横の中古レコード屋「蓄晃堂」で《They Shoot Horses, Don't They?》のサントラ輸入盤(→これ)を手に入れたときは、文字どおり欣喜雀躍したものである。
ありがたいことに、この映画の原作小説を角川文庫で読むことができた。ホレス・マッコイの『彼らは廃馬を撃つ』(1970年5月刊)がそれである。原題を直訳したような拙いタイトルだが、常盤新平の訳文そのものは、余分な感傷を排し、緊迫感に貫かれた秀逸な出来ばえだ。ラスト近く、「私」(ロバート)の見ている前で、グロリアがバッグから拳銃を取り出すくだりを少しだけ書き写してみよう。
「これ──」そう言って、私にわたしてよこした。
「いらないよ。しまってくれ」と私は言った。「さあ、なかにもどろう。寒いよ──」
「これでもって、神さまのかわりにピンチ・ヒッターに立ってちょうだい」彼女はそう言って、私の手に押しつけた。「わたしを撃って。それしかないのよ、わたしを不幸から連れだしてくれる道は」
マッコイの創り出したこの「神様のピンチヒッター」という独創的なフレーズは、映画のシナリオには採用されていない。しかしながら、1981年に大森一樹が村上春樹の『風の歌を聴け』を映画化したとき、主人公(小林薫)が彼女と一緒に自室のTVで《ひとりぼっちの青春》を観る、という原作にはないシーンをわざわざ挿入し、このとおりの台詞を「吹き替えの声」(野沢那智と小原乃梨子)に語らせていた(ただし映画そのものは映らない)のを、今でもありありと思い出す。
もう一つ、ごく初期の矢作俊彦の小説に『神様のピンチヒッター』というのがあるが、このタイトルもホレス・マッコイの原作(とそれに基づく映画)に捧げられた秘かなオマージュであることが明らかだろう。
(今日も結末まで行きつかなかった。続きは明後日に!)
出典/神様のピンチヒッター (2006年6月6日投稿)