たまたま知友から教えられたのだが、今日という日、すなわち5月18日はフランス近代音楽史上ちょっと例をみない特異日なのだそうだ。
1897年5月18日/ポール・デュカの交響的スケルツォ《魔法使の弟子》初演される。パリ、国民音楽協会の演奏会で作曲家自身の指揮。
1917年5月18日/ディアギレフのバレエ・リュス、エリック・サティ作曲のバレエ《パラード》を初上演。パリのシャトレ座。エルネスト・アンセルメが指揮した。
1942年5月18日/アルテュール・オネゲルの交響曲第二番、チューリヒで初演される。パウル・ザッハー指揮コレギウム・ムジクム。《魔法使の弟子》が初演された日からきっかり二十年後、第一次大戦のさなかに《パラード》が初演され、さらにその二十五年後の同じ日、第二次大戦の真っ只中にオネゲルの第二交響曲が初演される。
偶然と片づけてしまえばそれまでの話だが、ここまで初演日が綺麗に並ぶとなにやら因縁めく。三題噺よろしく、この三つの出来事だけでフランス近代音楽史が語れそうなのが驚きである。
一旦そうと知ってしまった以上、このまま遣り過ごすわけにいかなくなった。サティの《パラード》は昨日たまたま採り上げてしまったので、久しぶりにオネゲルの第二交響曲を心して聴いてみようか。
指揮はもちろん委嘱者にして初演者のパウル・ザッハーにお出まし願おう。
《パウル・ザッヒャー、委託曲を指揮する。》
ベーラ・バルトーク:
弦楽のための嬉遊曲 (1939)
イーゴリ・ストラヴィンスキー:
弦楽のための協奏曲 ニ調 (1946)
アルテュール・オネゲル:
交響曲 第二番* (1941)
パウル・ザッハー指揮
コレギウム・ムジクム・チューリヒ
トランペット/アンリ・アデルブレシュト*1985年5月、11月、チューリヒ、
ドイツ語・ロマンシュ語地域スイス放送(DRS)、第一スタジオ
エラート Erato ECD 75545 (1989)
このCDは滅多に見かけない。どころか、エラート・レーベルながら本CDは恐らく非売品として世に出たものとおぼしく、当時のカタログにも記載がない。察するところ、ザッハー家が経営する製薬会社ロシュ(F. Hoffmann-La Roche, Ltd.)が絡んだ一種の私家盤なのではないか。英語と日本語のライナーノーツが併記されるものの、制作はどうやら海外の手に委ねられたらしく、「委託曲を指揮する。」という不器用な日本語タイトルもその故だろう。
本来はここに収録された三曲のほか、マルタンの小協奏交響曲(1944~45)、マルチヌーの二重協奏曲(1938)、ヘンツェの弦楽ソナタ(1957~58)、オネゲルの《クリスマス・カンタータ》(1953)も加わったLP三枚組として1986年に出たものだ(仏Erato Num 75297
→アルバム・カヴァー)。いずれも同時代音楽の擁護者=パトロンたるパウル・ザッハーが委嘱し、世界初演した重要な20世紀音楽ばかりであり、創演者による録音として計り知れない価値を有するものだ。
さはさりながら、ここに聴くオネゲルの第二交響曲の弛緩しきった演奏はどうだ。切迫感も悲壮感も欠片すらなく、ただ楽譜面を撫でるような指揮に終始している。よく云えば「戦時下の苦悶と葛藤」という紋切型から解き放たれた純音楽的な解釈と捉えることもできようが、この緩いテンポと安閑とした響きはなんだ。オネゲルを最もよく知る指揮者の演奏がこれだとは俄かに信じがたい。
ザッハーはこの手兵を率いて1970年秋に来日し、委嘱作品である武満徹の新作《ユーカリプス》を世界初演するとともに、同じ演奏会でこのオネゲルも披露した。小生は期待を胸にNHKのTV放映に釘づけになったものだが、そのときも全く同じ理由で失望落胆したのを昨日のことのように思い出す(←老年の兆候)。これが一貫して彼の芸風なのだから致し方あるまい。