上野公園でやっている日本画の展覧会が千客万来、汗牛充棟、大入り満員で、入場するまでに露天で七十分だか百十分だか待たされるという話である。そこまでして観たいのかと些か鼻白む気がするのは、当方が年老いて美術への情熱が失せた証拠かもしれない。そもそも行列してまで観たい展覧会なぞ、そうそうありはしない。わが身に照らして鑑みるに、近年そのような体験といえば、2012年にナショナル・ギャラリーで観たレオナルド・ダ・ヴィンチ展くらいしか思い当たらない。一月の英都で朝六時から寒空のもと四時間も並び、館内でさらに一時間半も待ったのは我ながら天晴れだった(
→当日のレヴュー、ただし未完)。
書斎を片づけていて、数年前に実家を引き払う際に回収した雑多な荷物から、半世紀前に観た展覧会のチケットがいろいろ出てきた。いずれも思い出深い鑑賞体験なので、今なお深甚な記憶がまとわりつき、他人様には紙屑同然でも、個人的なエフェメラとして仄かな光芒を放ち、どうしても捨てることができない。
ツタンカーメン展
1965年8月21日~10月10日/東京国立博物館鑑賞日/10月10日(?)
フランスを中心とする17世紀ヨーロッパ名画展
1966年1月27日~3月27日/東京国立博物館鑑賞日/不明(二回)
南葵音楽文庫 特別公開展
1967年3月14日~3月22日/上野松坂屋鑑賞日/不明
ポンペイ古代美術展
1967年4月8日~5月28日/国立西洋美術館鑑賞日/4月9日、5月21日
エルミタージュ│プーシュキン│ロシア│トレチャコフ
ソ連国立美術館近代名画展
1967年10月15日~12月25日/国立西洋美術館鑑賞日/10月**日
デュフィ回顧展
1967年11月3日~12月17日/国立西洋美術館鑑賞日/12月10日
レンブラント名作展
1968年4月2日~5月16日/東京国立博物館鑑賞日/不明
ブールデル展
1968年7月7日~8月25日/国立西洋美術館鑑賞日/7月24日、8月20日
藤田嗣治追悼展
1968年9月7日~10月20日/東京セントラル美術館鑑賞日/不明
レンブラントとオランダ絵画巨匠展
1968年10月19日~12月22日/国立西洋美術館鑑賞日/不明
ドラクロワ展
1969年6月14日~8月3日/東京国立博物館鑑賞日/不明
ピエタ ダビデ モーゼ 三大傑作
1970年9月10日~1971年3月31日/ミケランジェロ彫刻館鑑賞日/不明
ベートーベン展
1970年10月1日~10月30日/東京セントラル美術館鑑賞日/不明
たまたまチケットが見つかった展覧会を時系列で列挙したもので、このほか国立西洋美術館では「
ロダン展」(1966)、「
ボナール展」(1968)、「
ロートレック展」(1969)、駒場の日本近代文学館で「トルストイ展」(1966)、銀座の東京画廊で「
ムンク版画展」(1969、もともとチケットは存在せず)、竹橋の国立近代美術館で「
ベン・シャーン展」(1970)、鎌倉の県立近代美術館で「
エドワルド・ムンク展」(1970)も観たはずである。中学から高校にかけての六年間、我ながら熱烈な展覧会マニアだったことに驚きを禁じ得ない。
行列ということで今もって忘れがたいのは、中学一年生で展覧会なるものに生まれて初めて赴いた「ツタンカーメン展」。
会場は東京国立博物館の本館だったのだが、入場を待つ人の列が博物館の前庭をのたくるように延々と蛇行し、そのまま正門前の信号を越えて上野公園の大噴水を取り囲むように続いていた。小生は叔父夫妻に伴われて午後の早い時刻に上野に着いたのだが、列に連なること数時間、閉館三十分前の午後四時にようやく展示室に到達した。暗い室内に織るような人の波、噎せかえるような汗牛充棟ぶりに気おされつつ、それでも一心にツタンカーメン王の遺品を凝視したのを、まるで昨日のことのように思い出す。あれから五十一年の時が流れたのだ。
こうして展覧会名を記していても、半世紀前の鮮やかな印象が迸り出る思いがする。デュフィ、ブールデル、藤田の回顧展は、それぞれ作品をまとめて観る初の機会だった訳で、デュフィの大作壁画《電気の精》マケットや《ドビュッシーの墓》と題されたモノクロームの石版画の魅惑、美術館前庭に野外展示されたブールデルの巨大群像《ミツキエーヴィチ記念像》の威容、フジタ晩年の《ジャン・ロスタンの肖像》の稠密さなど、息を呑む思いでほれぼれ凝視したのをよく憶えている。
忘れずに注記しておくと、ミケランジェロ彫刻館なる胡散臭い名称の建物(三井銀行旧赤坂支店とのことだ)で催された「ピエタ ダビデ モーゼ 三大傑作」展は、副題に「原作の雄大美を彷彿させる
!!」とあるように真作は招来されず(当然だ!)、原寸大の大理石模刻三体のみの展示だった。かかる欺瞞的な内容でよく入場料が取れたものと感心するが、それでも実物大の《ダヴィデ》像はなるほど巨大で、これはこれで一見の価値があった。もうひとつ「ベートーベン展」というのも期待外れ。肉筆やファクシミリの譜面が展示の大半を占め、あとは補聴器やデスマスクなど。葬儀の前後に切り出したという遺髪(!)も展示されていたが、これを聖遺物さながら難有がれといわれても「なんだかなあ」。
ここに記した展覧会のなかで最も圧巻だったのは、間違いなく「フランスを中心とする17世紀名画展」だった。
きっかり半世紀前のこの展覧会を憶えている人はもう尠かろうが、これこそわが国におけるバロック美術展の嚆矢であり、空前にして(おそらく)絶後の充実した内容を誇る。ルーヴルを筆頭にフランス各地の美術館から優品名作の数々が惜しげもなく開陳された。「フランスの中心とする」と標題にあるように、フィリップ・ド・シャンペーニュの《男の肖像》(
→これ)、クロード・ロランの《クリュセイスを父の許に送り返すウリッセウス》(
→これ)、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの《大工の聖ヨセフ》(
→これ)、ル・ナン兄弟の《双六に興ずる人々》(
→これ)など仏国宝級の傑作が目白押し、プーサンに至ってはかの名高き至宝《アルカディアの牧人》(
→これ)や《ナルキッソスとエコー》(
→これ)、《ソロモンの審判》(
→これ)など、代表作が六点ももたらされた。なんという椀飯振舞だろう。
フランス以外のバロック作品でも、スペインからリベラ(
→これ)、ベラスケス(伝)(
→これ)、スルバラン、ムリーリョ(
→これ)、フランドルからルーベンスとヴァン・ダイク、オランダからレンブラント(伝)(
→これ)とハルス、イタリアからカラヴァッジョ(
→これ)とドメニキーノが・・・といった具合に、フランスに力点が置かれるものの、17世紀バロック絵画の全容が早わかりふうに手際よく展観されていた。因みに、わが国にカラヴァッジョが招来されたのは本展が最初だったと思う。
これだけで充分だと思うのだが、かてて加えて本展には17世紀とは全く無関係でしかないミレーの《落穂拾い》までが含まれていたのは、主催者側のたっての要請なのか、先方のあらずもがなの親切なのか。
とにかく濃密な内容の凄すぎる展覧会だった。その割に会場は森閑として人影もまばら、田舎者の中二生は心ゆくまでバロックの神髄を味わったものだ。
手許に残るエフェメラ=チケットの紙片から、展覧会の委細がたちどころに甦る。昔の出来事ばかり思い出すのは老齢の兆候なのだろうが、それほどまでに鮮烈な美術体験だったのも事実だ。それにひき較べ昨今ときたら(以下略)。