外国切手の蒐集に手を染めた者には周知の事実だろうが、英国の切手には国名が記されていない。世界に冠たる大英帝国の奢りではなく、もともと切手(および近代的な郵便制度)の発祥の地はこの国なので、1840年に出た世界初の郵便切手「ペニー・ブラック」(
→これ)このかた、英国当局が発行する切手には国名が表示されないのが慣例となっている。本家本元の矜持のなせる業なのだ。
もうひとつ、最初の「ペニー・ブラック」がヴィクトリア女王の横顔をあしらった故事に倣い、英国切手には当代の国家元首たる国王の肖像が印面に配されるのも、古式床しい慣わしとなって今日に至る。かてて加えて、これは現代の常識からはかけ離れているのだが、この国では永らく、歴史上の著名人であれ、当代の人気者であれ、特定の人物が切手に描かれるのを忌避してきた。切手には国家元首の姿しか拝めない。これが英国での常識だった。この牢固たる伝統は実に百年以上も頑なに守られてきた。
ところが1964年、遂にタブーが破られるときがきた。そのとき半ズボンを穿いた小学六年生ながら、いっぱしの切手蒐集家を自負する小生は、この事態に驚きの眼差しを注いだものだ。十年前に綴った旧文があるので、そこから引く。
1964年4月23日はウィリアム・シェイクスピアの生誕四百年にあたっていた。
慌てて註釈を加えておくと、シェイクスピアの正確な誕生日は判明していない。記録に拠れば1564年4月26日に小邑ストラットフォード=アポン=エイボンの教会で洗礼を受けており、生まれたのはその数日前、ということしかわからないらしい。ともあれ、四百年後の1964年はイギリスじゅうがこぞって文豪の偉業を偲ぶ一年だったようで、この日を期して「シェイクスピア・フェスティヴァル」が開幕し、各地で芝居の連続上演はもとより、シェイクスピアに基づくオペラ、バレエ、映画の上演・上映、展覧会やコンサートなど記念イヴェントが相次いだ。
こうして澎湃と盛り上がるシェイクスピア熱に押される形で、英国郵政省も重い腰を上げざるを得なくなった。創業以来124年も守り続けてきた鉄則をついに曲げるときがきたのである。この日、全英の郵便局で "Shakespeare Festival" の開催を記念するという名目で(つまり、あくまでシェイクスピア生誕四百年記念ではなく)、五種類の記念切手が発売された。それぞれ「真夏の夜の夢」「十二夜」「ロミオとジュリエット」「ヘンリー五世」「ハムレット」の名場面をあしらい、最高額の「ハムレット」以外には、額の禿げ上がった有名なシェイクスピアの肖像が、ちょうどエリザベス女王の肖像と向かい合うように配されたのである(→これら)。
イギリス切手に国王以外の、特定の個人の似姿が登場するのは、実にこのときをもって嚆矢とする。
伝統を墨守する英国政府も、さすがにシェイクスピアの名声と威光を前にしては、旧来の方針を変えざるを得なかったということか。
今日の眼から見ると(いや、当時すでにそうだったのだが)なんの変哲もない無難な記念切手にしか見えないが、それでも当時の英国人士の常識からすると、かかる切手を世に問うこと自体が前代未聞の一大事であったらしい。伝え聞くところでは、これら切手のデザイナーたちは英国当局から「もしもシェイクスピアの肖像を印面に登場させるにしても、サイズが女王陛下のご尊顔より大きくならぬよう」くれぐれも留意すべし、と厳命されたそうな。
ちょっと信じられない話だが、任にあたった当のデザイナー David Gentleman がそう証言している。彼が担当した四種類の切手にはいずれもシェイクスピアが描かれているが、なるほど肖像の大きさがエリザベス女王を上回らぬよう注意が払われている。それでも関係者の間では物議を醸したというのだから、不文律の伝統ながら、禁忌はよほど厳しかったのだ。
こうして禁がいったん解かれるや、時代の趨勢はもう留めることができなかった。翌1965年、救国の英雄で元宰相の
ウィンストン・チャーチルが歿すると、英国郵政省はすかさず追悼切手にその似姿を異例の大きさであしらい(
→これら)、外科医
ジョゼフ・リスターによる消毒手術開始百周年の記念切手では、科学者の肖像を(こちらはやや控えめに)登場させた(
→これ)。66年にはスコットランドの民衆詩人
ロバート・バーンズ(
→これら)、69年には
マハトマ・ガンジー(
→これ)、71年には
ジョン・キーツ、
ウォルター・スコット、
トマス・グレイ(
→これ、
→これ、
→これ)の三役揃い踏みといった具合に、歴史上の偉人・文化人の姿があたかも当然のごとく英国切手を彩るようになった。タブーは完全に消え失せたのだ。
その過程で、1966年のことだと思われるが、切手上のエリザベス女王の肖像がそれまでの「公式写真」から「横顔シルエット」へと変更された。写真があまりにも若すぎて女王陛下の実像とかけ離れていたこともあったろうが、ここで主役から脇役への転換移行が密かに行われたのは事実だろう。「君臨すれども統治せず」どころか、女王が小さな印面に君臨することすら控えたのである。
話を冒頭のシェイクスピアに戻すと、英国切手に彼の肖像が再登場するのは半世紀近く後の2006年のこと。ロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリー百五十周年の記念切手十種のなかで、
レノルズ、
ダーウィン、
ヴァージニア・ウルフらとともに、その現存最古の肖像画(作者不詳)が採り上げられた(
→これ)。図案の出来は平凡ながら、四十余年かけて世紀の文豪と女王陛下との優劣主従が完全に逆転した歴史がしみじみ実感されよう。
小生のお気に入りはその五年後の2011年、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー設立五十年を寿ぐ六種の記念切手(
→これら)。ご覧のとおり、《ハムレット》《テンペスト》《ヘンリー六世》《リア王》《真夏の夜の夢》《ロミオとジュリエット》から、それぞれ人口に膾炙した名科白を選び、舞台写真と組み合わせたもの。不案内な小生は「あるかあらぬか、それが問題だ」「あなたはどうしてロミオなの?」位しか口ずさめないのが残念だが、芝居好きにはこたえられない図案であり、俳優が誰かもお見通しだろう。奔放な手書き文字がめっぽう素敵だ。
そして、シェイクスピア歿後四百周年の今年、英国郵政省は満を持して記念切手十種を発行した。つい先日、4月5日のことだ。驚くなかれ、そこには文豪の肖像も、芝居の場面も全く登場せず、ひたすら言葉、言葉、言葉(
→これら)。
《ハムレット》《ジュリアス・シーザー》《ロミオとジュリエット》《お気に召すまま》《空騒ぎ》《ソネット三十番》《ヴィーナスとアドニス》《マクベス》《テンペスト》《リチャード二世》から、それぞれ名句を抜き書きしたものだ。ちょっと意表を突かれる思いだが、シェイクスピアの神髄はまさに言葉にあり──そう問わず語りに告げる、これはこれで本質を突いた見識あるデザインだと、またしても脱帽した次第である。